コンセプチュアルな旅のすゝめ No.14 鰊御殿に偲ぶ漁家の夢

『銀鱗荘』本館

「北の春は鰊(ニシン)で明ける」と謳われ、北海道の日本海沿岸が鰊漁で大いに沸き立っていた時代。
かつての大網元・猪俣安之丞が築造した鰊御殿は、変わらぬ勇姿を保ち、石狩の海の栄華の記憶を今に伝えている。

文・寺田直子 写真提供・銀鱗荘

Text by Naoko TERADA Photographs Courtesy of GINRINSOU

『銀鱗荘』の全身となる大網元・猪俣安之丞の個人邸宅として建てられた鰊御殿

 石狩湾に向けて広がる窓を開け放つと、汽笛が耳に届いてきた。海岸線沿いをゆるやかに蛇行する函館本線をローカル列車が走り去る。凛とした空気を肌に感じながら北海道に来たことを実感する瞬間だ。

 小樽というと運河を中心とした市街散策が観光客に人気だが、少し離れるとそこには雄大な風景とそこに寄り添う暮らしぶりが見えてくる。

 かつて明治から大正にかけてこのあたりは鰊の水揚げ高が最高潮を迎え、日本の経済を変えるほどの一大産業であったことを知る人は多いだろう。漁の季節になると海面はピチピチと跳ねる鰊で銀色に染まり、手で掴めるほどだったという。その鰊漁で巨万の富を稼ぎ出した網元たちが構えたのが、いわゆる鰊御殿である。主人の好みを反映し、最高品質の木材と匠の技を使い、すみずみにまで贅を尽くした存在は、まさに栄華を誇示するかのような迫力だ。

 小樽には資料館などとして現存するものがいくつかあるが、高級温泉旅館として滞在できるのが、平磯岬の高台に堂々とたたずむ『銀鱗荘』だ。

 前身は余市の大網元・猪俣安之丞の個人邸宅として建てられた鰊御殿で、昭和13年から14年にかけて現在の場所へ移築。料亭旅館『銀鱗荘』として新しい歴史を刻みはじめた。命名は当時の北海道庁長官・石黒英彦による。その後、温泉を掘り当て、さらに本館特別室、新館などを増築し北海道を代表する温泉と美食を味わうことのできる至高の宿として愛され続けてきた。

『銀鱗荘』大広間

夜明けのツアー

 『銀鱗荘』の真骨頂は、やはり鰊御殿の骨太な建築美と随所に施された流麗な意匠にある。玄関から見上げると家紋入りの屋根瓦の左右にシャチホコ。中央には小樽港と石狩湾を望む望楼。そして玄関に入ると出迎えるのが、迫力ある大広間。上部には海と共に生きる漁師たちを庇護するかのようにそれは威風堂々の神棚。宮大工を招いて可能なかぎり最高品質の建築素材をあしらった風格は150年近く経った今でも失われていない。随所に海の生き物をモチーフにした建具やステンドグラスがそこに華やかさを添えている。

『銀鱗荘』から望める小樽湾

 客室も個性あふれる。なかでも贅を尽くした特別室がすばらしい。本館か新館によって小樽湾側、石狩湾と市街地側の眺望があるが、どちらもみごと。前述の函館本線トレインビューを愛でるのならば本館特別室「銀嶺」をおすすめする。あるいは新館特別室「鶴」は最上階を独占する最上級和洋室。広々としたテラス、温泉をひいたバスルームから絶景の水平線、小樽湾、市街地を一望の下に。何もせずただ暮れなずむ風景を楽しむのも粋だ。

『銀鱗荘』お料理

 料亭旅館であるだけに味わう至福も『銀鱗荘』には欠かせない。季節により蝦夷鮑、海胆(ウニ)、毛蟹など小樽はもちろん近隣の新鮮な魚介類をふんだんに用い、食の王国・北海道の旬の味覚を艶やかな会席料理に仕立てている。コースの途中に出てくるのは、みりんや醤油で香ばしく焼き上げた地元で「鎌倉焼き」として知られる鰊の一品。素朴な家庭料理的なメニューだが、鰊御殿があるのもこの鰊がいたからこそ。そんな小樽の矜持を感じさせ、しみじみと味わい深い。

『銀鱗荘』本館特別室「銀嶺」

『銀鱗荘』客室内

『銀鱗荘』露天風呂

『銀鱗荘』

Information

銀鱗荘

北海道小樽市桜1-1

旅のColumn ナイトクルーズで歴史のも町・小樽を巡る

小樽といえば運河。自分たちで散策するのもいいが、約40分の快適なクルーズで運河めぐりをすると歴史の深さが見えてくる。クルーズスタッフの解説も興味深く、ゆっくりと進むクルーズ船は揺れることもなく誰でも楽しめる。明治の実業家・渋沢栄一が所有していた旧倉庫をはじめとした歴史的建築物や、橋の下に隠された遺構、昔の面影を残す北運河など水路からのぞく空間は、知的好奇心をかきたてる。開放感あふれるデイクルーズも楽しいが、さわやかなこれからの季節に満喫したいのがナイトクルーズ。出発は日没後。ライトアップされた建物がロマンチックな雰囲気をたたえ、ガス灯のアンバーなライトが水面に映え、小樽旅情を演出する。(1,800円/税込、現金支払のみ)

小樽運河クルーズ

http://otaru.cc

*前回取材のNo.13「“日本最後の秘境”沖縄・西表島に咲く、幻の花」もあわせてご覧ください。

2017.07.11

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