SIGNATURE2016年01_02月号
10/70
初期の『パレード』や『パーク・ライフ』では東京の日常を生きる人々を描き、重要な転換点となった『悪人』では、出身地の長崎、九州を舞台に人間の本質に迫る。吉田修一の創作は、まず小説の基盤となる場所を設定するところから始められる。 「小説の書き方が人と違うらしいんです。普通は物語を考えて、主人公がいて、場所が決まる。僕の場合は逆で、昔からまず場所を決める。そうすると自然と人が出てくる。極端に言うと、物語はどうでもいい。場所を描こうとすると人が出てくるし、その人のことを書いていれば物語は勝手に生まれてくる。場所の決め方は好きか嫌いか、合うか合わないかですね。好きなところでないとなにも浮かんでこない」ANAの機内誌での連載をまとめた新刊『作家と一日』は、そんな吉田の創作の源泉となる部分を垣間見せるエッセイ集である。軽妙な筆致で綴られた旅行記は、書名のとおり、国内外のさまざまな場所で流れていく一日一日を作家の体験のなかで繋ぎとめる。とりわけ目につくのは、建築に対する吉田の強い関心だ。「旅行に出ると好きな建築家の作品を見て回る」(75ページ)と書かれるように、本書ではスイス出身で世界的に活躍するヘルツォーク&ド・ムーロンをはじめとして、アルヴァ・アールトや隈研吾、中村拓志といった古今東西の建築家たちの名前が散見される。 「建築には学生の頃から興味がありますが、基本的にはただ見て歩くというだけなんです。惹かれる建築はたくさんあって、系統で言うと大きいものよりは小さなもの。ルイス・カーンのフィッシャー邸はすごく好きで、行ってみたい」ルイス・カーンは20世紀後半を代表するアメリカのユダヤ人建築家で、フィッシャー邸(1967年)はその住宅建築の傑作として知られる。夫婦のための小さな住まいだが、設計図は何度も描き直され、完成までに7年もの歳月を要した。45度の角度で交わったふたつのキューブが緑豊かなフィラデルフィア郊外の住宅地に佇んでいる。 「写真でもずっと見ていられる。建築って、その中を自分が動いたり暮らしたりすることを想像するのが楽しい。フィッシャー邸はまさにその想像力をかき立てられます。きっと小さい建築に惹かれるのもそこなんです。建物のスケールが大きくなると、どうしても自分と離れていってしまう。一見無駄に見えるような心地よい場所よりも、経済的な効率性が優先されたりしますよね」建築を捉える確固たる眼差し。しかし一方で吉田の建築観が興味深いのは、同時にその経済的な効率性だけでつくられたような地方都市のショッピングセンターにも「無性に行きたくなってしまう」という点だ。「要するに少し大袈裟に言えば、ショッピングセンターでは今の日本の姿が見えるのだ」(1吉田さんお気に入りの建築のひとつ、「ノーマン・フィッシャー邸」(1960〜67年、米ペンシルベニア州)設計:ルイス・カーン(写真:長島明夫)。右はその平面図。 14
元のページ
../index.html#10