SIGNATURE2016年01_02月号
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8Number 89 Hawaiian Islandsじめる。ところが、或るデータによると、日記は約九割の人が最後まで書かずに終るらしい。これも人間らしくていい。私の先輩に、ゴルフの一年のスコアーをすべて記入し、記憶していて、その一年の平均ストロークを出す作業を楽しみにしている方がいる。その先輩と、毎年、暮れにご一緒するが、こうおっしゃる。「今日、100以下でラウンドできると、今年は平均ストローク99・7そうなると、こちらも応援したくなるし、上手くラウンドを終えて清々しい顔でウイスキーを飲んでいる横顔がまぶしく映る。それとは逆に、ゴルフの年始めというのがある。これも楽しみにしている人が多い。今から二十年以上前、私は先輩たちが、毎年仲間で行く、年始めゴルフの旅に参加していたことがあった。いろんな職業の人が集まって、一年間積み立てをして、元旦が過ぎての一月四日に羽田空港から、格安のチケットでハワイ諸島へ飛び、到着した日の午後から、大会を開始する。人数にして十数人。四組から五組で、女性も三、四人加わっていた。去年の実績からハンディキャップが決っていて、皆が懸命にプレーする。サラリーマン、写真家、デザイナー、コピーライター、イラストレーター、写植屋さん(今はこうは言わないか)……、この欄の挿し絵とデザインをして貰っている長友啓典氏もいらした。宿泊のホテルも格安の少し古びた建物だったが、なにしろ一日2ラウンドもする日もあり、皆一年の疲労も重なって、食事が終れば、毎日が表彰式で、あとはベッド……になるんです。ガンバリたいな」に倒れるように休んで、翌早朝からレンタカーに乗り込んでゴルフコースへむかう。毎年、オアフ島以外の各島でのプレーで、その方が宿代もプレー代も安かった。当時のハワイは観光客が毎年増え、しかもゴルフをする人が増えて、新設コースのラッシュだった。誰もそのコースのレイアウトを知らないというのがまた楽しかった。レー中に、このグリーンはどっちに速いんだ? ると、三方が海に囲まれていて、頭が混乱したりした。一週間の滞在で10ラウンド以上プレーしたのだから若かった。どんなに疲れていても、ゴルファーという人種は、いざコースに入ってボールを相手にすると、半分我と、身体の具合を忘れる。皆日焼けして日本に帰って、仕事始めに自分だけがこんがり焼けた顔をしていると、遊んでばかりいたのだろうと思われはしないかと、うつむいて打ち合わせをしたものだ。その旅も何とはなしに終りになり、時々、あの戦いの日々を思い出して懐かしくなる。どんなだったか、と思い出そうとすると、いいプレーをした記憶より、失敗をして笑われたシーンでの方を鮮明に覚えているから妙なものである。上手くプレーができて嬉しかった記憶を忘れないことは幸せだろうが、大半のゴルファーが失敗を記憶しているとしたら、ゴルフというスポーワイのグリーンの芝目は、その島の一番高い場所から海へむかって順目になっており、海にむかって速い、が常識だが、時折、プと海の位置をたしかめ
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