SIGNATURE2016年03月号
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人60大なエネルギーを持った人物である。いまの音楽界のみならず、文化や社会全般に至るまで、現代のロシアを語る上で見落としてはならない存在が、ワレリー・ゲルギエフだ。 彼がサンクトペテルブルク(旧・レニングラード)のマリインスキー劇場(当時の名称はキーロフ劇場)のオペラ部門の芸術監督に就任したのは1988年、でに世界有数だったものの、旧・ソ連ではローカルな一オペラハウスに過ぎなかったこの劇場の改革を次々と断行、驚異的なレベルアップと国際化を果たし、90年代以降は世界の主要歌劇場の一角に数えられるまでの大躍進、帝政ロシア時代の偉大な伝統の復活を成し遂げた。 「サンクトペテルブルクは、世界の文化主要基地の一つです。その由来を考えてみると、いい意味での〝文化的な爆発〟の場所なのです。ピョートル大帝がわずか20年であれだけの計画都市を造り上げた。そのコンセプトは、ヨーロッパの当時栄えていた街を持ってくるというものでした。たとえばアムステルダムのような、交易が水路によって行われ、人々が行き交う街。そしてエカテリーナⅡ世は、ヴェネツィアやローマのような文化の街を目指して、当時の偉大な建築家たちを呼んだ。マリインスキー劇場とは、エルミタージュ美術館とは、ピョートル大帝やエカテリーナ女帝の子どもなのです。ではオペラとは何でしょうか? は音楽だけではないのです。民族的な、国民的な魂を歌い上げた作品なのです。それアレキサンドルⅠ世やニコライⅠ世の時代、ロシア帝国の芸術文化が急激に世界に向けて発信しはじめた。フランスやイタリアの文化に比べて、ロシアの音楽というのは幼い赤ちゃんだったのです(豊かな宗教音楽はありましたが)。けれども、この200年の間で爆発的に大きな力で成長していった。オペラもバレエも、詩人や劇作家たちも、すべての芸術文化において。2つの大戦中もそれは壊れることはなかった。それは、マリインスキー劇場の功績の一つと言えましょう」ゲルギエフと話していると、時間的にも地理的にも、常にパースペクティヴ(俯瞰)が大きいことに気づく。巨視的なビジョンをもって未来に向けて物事を進めていくその姿勢こそが、マリインスキー劇場を世界に雄飛させた手腕の源なのだろう。ゲルギエフはただ芸術の世界のことだけではなく都市の中の劇場ということについても大きな考え方を持っている。 「劇場は磁石です。われわれの白夜祭のようなフェスティバルとは、劇場の力が、人々が注目するようなものが、全て凝縮されたものなのです。そしてペテルブルクという街は、白夜の間、特別なオーラを持っています。夜中の2時でさえ、ほんのりと明るく、とても美しい街の姿がある。世界中の人たちがその姿を見に訪れます。いつの時代も政治的な理由で、一生懸命築きあげてきた文化活動が途切れてしまいますが、それでもまたみんなで一緒に、切れたところを繫いでいく。そういう経験を何度もしました。ただただ音楽が、芸術が好きな人々を再び集めることから、また始めるのです。残念ながら、国と国との文化的な交流というのは、賢い政治的リーダーがいるかいないかに、すごく左右されてしまうものなのですが」劇場やオーケストラに対してゲルギエフが発揮する求心力は尋常ではない。そのカリスマの秘密とは一体何だろうか? 「私が果たす役目というのは、スフィンクスのようなもの。あれは見ただけで数千年の歴史を感じますよね。イメージ的な比較ですけれど、私はそういうスフィンクスになりたかった。偉大な作曲家たちはオーケストラという生き物に対して、たくさんの蓄えをしてくれるものなのです。カラヤンやチェリビダッケやショルティが、彼らのオーケストラや劇場とともに、長い年月をかけて大きなレパートリーを形成したのはそういう意味です。そうして伝統をつくり上げることが大事で、私は偽りのスピリットを音楽に込めるようなことは決してしたくない」次回のマリインスキー劇場の来日公演では、チャイコフスキー《エフゲニー・オネーギン》とヴェルディ《ドン・カルロ》の2本を予定している。 「これらの作品は音楽はもちろんのこと、台本がとても優れています。いまの人々は、心の琴線に触れるようなものを何よりも求めていると思います。ただショックを与えるような、ボリュームばかりの表面的なものではなく、作曲家の意図にまっすぐ沿った、若くていい歌手の揃った、クリアで美しい、よい舞台をお約束しましょう」SignatureInterviewValery GERGIEV12ワレリー ゲルギエフ|1953年、モスクワ生まれ。88年、35歳の若さでマリインスキー劇場のオペラ部門の芸術監督に就任。ロシアの古典オペラに新たな演出法を導入し、マリインスキー劇場を世界的な地位に引き上げる。96年からはマリインスキー劇場の芸術総監督と総裁を兼任し、バレエ、オペラ、管弦楽団を束ねる重責を担う。2015年にはミュンヘン・フィルの首席指揮者に就任。また、メトロポリタン・オペラ、ウィーン・フィル、ミラノ・スカラ座管、ニューヨーク・フィル、ロンドン響、ロッテルダム・フィル等と共演し、日本との親交も深い。35歳のときのこと。以来、バレエ団はす ”巨 19世紀の初頭、ナポレオンとの戦いの後、小さな子どもたちが大人になっても通い続ける、そんな劇場になってほしい……。それは、20、30、 50年後” の国の将来を見据えて、理想を高く掲げなければ実現しえないのです
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