SIGNATURE2016年03月号
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お ん た やき日田の市街地から車で30分ほど。昔ながらの手法を続けている陶芸「小鹿田焼」の里は、山間のひっそりとした集落にある。里内に入っても視界には広告ポスターや看板の類は見当たらず、耳にも喧騒の音など一切届かない。唯一、聞き慣れない音が、一定の間隔で耳朶に触れてくる。重い木と木が摩擦しているような、ギィー、ギィーとした音。その後ややあって、バッタンと何かを打ちつけるような響き。それが1か所からだけではなく、里のあちらこちらから聞こえてくる。音のするほうへ足を運べば、簡素な屋根に守られた大きな杵と臼があった。古くから林業が盛んな日田であれば入手もたやすいだろう丸太の杵。そのお尻の部分3分の1ほどは刳り貫かれており、その凹みに川の水が流れ込む。溜め込めば、重みで杵の先端部分が持ち上がる。溜め込んだ水が飽和点に達すると、ししおどしの要領で杵の先端部分が臼を叩く仕組みだ。臼に入っているのは、小鹿田焼のベースとなる土。その陶土をよりキメ細かい粒子にするため、24時間休むことなく、電気の力をまったく借りずに、唐臼は働く。この音は「日本の音風景100選」のひとつともなっている。小鹿田焼は、江戸時代の宝永もしくは元文年間に生まれたといわれる。西暦では1700年代の前半にあたる。幕府直轄領(天領)であった日田の代官から「領内の生活雑器をこしらえるべし」との命を受け、始まった。唐臼というものが発祥当時から存在していたかどうかは定かではないが、現在に至るまで、ろくろも足で回す式の蹴りろくろを用いる。天日で干す。薪を使って登り窯で焼く。窯元は現在10軒。代々長男への一子相伝の形で技術を継承し、外部からの弟子は取らないという不文律34く 昭和初期、民芸運動の提唱者として知られる柳宗悦が小鹿田の里を訪れた。伝統的で稀少な陶芸の様に強く心を打たれ、その素晴らしさを文章に残している。戦後、イギリスの著名な陶芸家バーナード・リーチも2度にわたって滞在し、作陶した。現在は小鹿田の地域全体が「重要文化的景観」に選定されている。何から何まで手作りであるため、大量生産はできない。価格も手頃であることから、首都圏や京阪神のデパートなどに商品が入ると即完売になる人気。ならばぜひ、現地で手に取ってご覧あれ。  ぬ   OitaCalm Waters Run DeepSpecial Feature

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