SIGNATURE2016年03月号
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あずかただし狭霧台を下り、正真正銘の金鱗湖へ行った。垂れこめた朝霧は湖の輪郭を隠し、湖面から突き出た鳥居だけを際立たせている。周辺の建物は見えずとも、ここに〝ザ・ニッポン〟が凛とした姿で屹立している。上着の表面はしっとりとした湿り気に包まれる。身体も冷えていくのがわかる。すぐそばに早朝から開いている共同浴場があったが、そこは地元民だけに開放された風呂だった。宿に戻り、朝風呂に浸る。手足を伸ばし、意識せずとも口から漏れ出る愉悦の吐息。大分県のキャッチフレーズは〝おんせん県〟であるから、心おきなくその恩恵に与る。由布院滞在中に入った温泉で特筆すべきは『庄屋の館』という宿の露天風呂。湯の色は空の色を写し取ったようなブルーを基調にし、そこに加えて朝霧を溶かし込んだような白濁の相も見せている。温泉がもたらす美肌効果や潤いの成分となるメタ珪酸が豊富なためで、この泉質を有する宿はこちらを含めて由布院内でもひと握りしかない。一般にメタ珪酸含有量が50ミリグラムであれば美肌効果あり、100ミリグラムを超えれば効果すこぶるあり、といわれる。こちらの温泉のメタ珪酸含有量は594ミリグラム。男性陣はさておくとして、女性には旅の大きな動機付けになるに違いない。実際に入ってみれば、肌を噛むような鋭角な湯ではなく、肌全体をコーティングし、滑らかで、優しい。 『庄屋の館』は一棟ごとの貸家スタイルで、宿のスタッフ側からのサービスやアプローチを極力少なくすることを心がけている。代表取締役の堀江洋一郎さんは言う。「気兼ねの要らない別宅としてご利用いただければと願っています。お客さまがかしこまってしまうような空間にはしたくないんです」。上質でありながら、過度な接触は避ける。このコンセプトは、旅の経験に熟した方々にはご理解いただけるだろう。近年、日本の観光地はどこでも外国人の姿が目立つが、由布院駅周辺も例外ではない。特急列車が到着するたびに、大勢が降りてくる。目勘定でその7割以上が外国人観光客と推察できる。由布院駅は改札を設けず、良心と性善説に基づいたスタンスの稀なる駅。瀟洒な造りの駅舎を出れば、真っ直ぐに延びた通りの先に由布岳がそびえ立っているのが見える。駅をゲートにした場合の最初のお出迎えは、「豊後富士」の別名を有する由布岳が担う。由布院駅長を務める宮田匡さんは、胸を張ってこう話してくれた。「今や由布院は国内だけではなく世界に知られた観光地ですから、できる限りのおもてなしをしてさし上げたい。豪華列車の『ななつ星』や『或る列車』も通っています。長きにわたって根づいたホスピタリティ、垢抜けた感性というものが由布院にはあるんです」。由布院では、それぞれの職種において様々な距離感を持った人たちが、客人を迎える。相手との距離をほどよく捉える定規を銘々が心の内に携えていることこそが、この町を洗練に導いてきた原動力だと想像する。大分県のキャッチフレーズ〝おんせん県〟にはサブキャッチが添えられている。〝味力も満載〟がそれだ。味力とは魅力にかけた造語だが、要は「美味なるものがふんだんにある」ということ。由布院には海がないから、豊後牛のステーキや、肉汁を抱え込んだ絶品ハンバーグをいただこう。ある人気店のハンバーグは「半分に切って鉄板に断面を当てれば、香り豊かな湯気が湧き上がる」と聞きつけている。朝霧と湯煙ばかりか、肉の煙も余すところなく。38庄屋の館住所:大分県由布市湯布院町川上444-3TEL:0977-85-3105E-mail : ask@yufuin-shoya.comhttp://www.yufuin-shoya.comCafé & Dining kurogane住所:大分県由布市湯布院町川上2093-1TEL:0977-85-2299営業時間:ランチ11:00〜16:00(L.O.15:00)、ディナー18:00〜23:00(L.O.22:00)定休日:木曜日*現金のみOitaCalm Waters Run DeepSpecial Feature実際に近隣の町に立っていた旧家を移築。意匠を凝らした欄間や格天井など、建造物として見るだけでも価値がある。料理は部屋出しこそしないが、大分県の幸が存分に堪能できる。人気のハンバーグはここ『kurogane』にある。表面を除いてほぼレアな状態で卓に運ばれ、熱々の鉄板の上で好みの加減に焼いて、特製ソースでいただく。クセになる味。       

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