SIGNATURE2016年03月号
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『糸巻きの聖母』と題された作品で、私はこの作品を十年以上前に、スなかび年明けの夕暮れ、その両国橋を渡った。それも小雨に煙る夕方であったから、余計に周五郎の一節が浮かんだのかもしれない。丁度、初場所の中日前後で、ひさしぶりに日本人力士が全勝を続けていたので国技館の建物がこころなしかふくらんでいるように映った。相撲見物に行ったのではない。国技館のすぐそばにある江戸東京博物館で、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画が展示してあるというので鑑賞に行った。コットランドのエジンバラにあるナショナルギャラリーで見たことがあったが、その折は作品を鑑賞しても強い印象を受けなかった。その理由はたぶん、レオナルド・ダ・ヴィンチというルネッサンスを代表する画家についてよくわかっていなかったこともあったのだろう。がダ・ヴィンチの作品をあらためて見直すきっかけになったのは、スペイン・フランスの美術館である。足掛け七年美術館を巡る旅をして、これ以上、絵画を巡る旅を続けていては、私の本来の仕事(小説の執筆)に大きな支障を来たすと判断した。だから旅の終わりを迎えたパリで、最後に、クロード・モネの『睡蓮』があるオランジュリー美術館と、ルーヴル美術館に出かけた。七年の旅は、一枚の絵画と出逢うための旅だったが、私には、この絵が自分にとっての一枚というものは見つからなかった。私自身、旅のなかばで、この旅は、最後には、しあわせの青い鳥を探しに出かけた二人の少年と少女の旅のようになるのではという、おぼろな不安を抱いていた。それでもオランジュリー美術館であらためて鑑賞した『睡蓮』の連作は素晴らしいものだった。――きっとこの絵なのだろう……。私は自分に言い聞かせた。モネとは、運命とは言わぬが、小学生の時に出会っている。六人の子供の世話と大勢の人の面倒を見ながら生きていた母が、一日休みを取って、山口の田舎町から岡山、倉敷にある大原美術館に、絵が好きだった息子のために出かけてくれて、そこで一番印象に残った作品が、小作ではあるが、モネの『睡蓮』であった。少年の私は、他の絵画を見ずに、その絵だけをじっと見ていたという。私は連作『睡蓮』をよくよく鑑賞し、その足で、目と鼻の先のルーヴル美術館にむかって歩き出した。春の陽がチュイルリー公園の木々の葉を明るく光らせていた。フランス絵画をひととおり見て、館を出る前に、ダヴィッド、アングルの大作が並ぶ展示館へ行った。そうしてその館の奥にはルーヴル美術館を訪れる大半の人が鑑賞する『モナ・リザ』が展示してあった。いつも大変に混雑する場所で、作品も辛抱強く待たねば目の前では鑑賞できない。――いちおう見て行こうか……。予期したとおり、大変な見物人の数であった。絵画に近づくには一時間かかるかもしれない。私の隣りにアメリカ人の夫婦と少年がいた。少年は、ぜんぜん見えな 6ていた。父親が少年を抱きかかえ、オペラグラスを渡した。いよ、と不満を言っていた。父親と母親はオペラグラスを渡し合って見 「見える?」Number 90 Kurashiki, Paris &Tokyo
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