SIGNATURE2016年05月号
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と聞いて、真っ先に脳裏に浮かぶのは、坐禅そして禅問答だろうか。日常的な生活感覚からはほど遠い、一般人には無縁の高尚な精神世界の修行と思ってしまいがちだ。だが、「調身→調息→調心」という坐禅の実践も、小難しげな禅問答も、心を「素」の状態にリセットするための手段だという。難解に思える禅宗だが、その教えの本来のありようはごくシンプル。東京・大澤山龍雲寺の細川晋輔住職に禅の心得について語っていただいた。 「現在の日本では『葬式仏教』などと軽んじられがちですが、お釈迦様が修行の果てに開悟されて仏教の教えを広められたのは、故人や先祖の霊を祀るためではなく、迷える人たちを救い、より多くの人々に幸せになってもらうためでした。それから約2500年。私たちは、幸せになっているでしょうか? お釈迦様の言葉や教えには、迷える私たち、煩悩にまみれて苦しんでいる私たちを導く〝真理〟が秘められている。だから今も受け継がれているのだと思います」ではその「真理とはなんぞや?」と追求したくなってしまう。言葉で説明されないと納得できない。それもまた現代人の不徳の性だろうか。 「禅には『不立文字』という言葉があります。要するに『文字に立てられない教え』という意味ですね。文字にできふりゅうもんじさが禅 えかだんぴず ない、言葉にできない教えがある。けれど、そこで終わってしまっては、より多くの人々にお釈迦さまの教えを伝えることができません。そこで、《瓢鮎図》のような、禅画と呼ばれる視覚的な表現が活用されてきたわけです」中国からの禅宗の本格的な導入は鎌倉時代に遡る。南北朝時代から室町時代にかけて武家政権の確立とともに、禅宗は日本の精神文化の中枢を形成していくことになる。「禅画」であるとは意識しないままに、如拙や雪舟、明兆などの画僧の名がインプットされている日本美術ファンも多いことだろう。たとえば雪舟の《慧可断臂図》。慧可は、禅宗の祖とされる達磨大師(5世紀後半〜6世紀前半)に入門を乞う。だが何度懇願しても、岩壁に向かって修行中の達磨に無視され、自らの腕を切ってその覚悟を示すことで、入門を許されたという逸話に基づいている。 「雪舟の《慧可断臂図》を見てみましょう。背景の岩壁の表現はやたらと細かいクセに、達磨の衣だけがスコーンと抜けていますね。輪郭線の内側は自分の想いを映して見ることのできる『余白』なのではないでしょうか。もし、この衣が微に入り細を穿ち正確に描かれていたら、全く違う絵になっていたかもしれません。禅においては〝間〟を感じることが非常に重要なのです。時間に追われ、みんちょううが「直指人心見性成仏」禅とは心のデトックスである細川晋輔じきしにんしん臨済宗妙心寺派龍雲寺けんしょうじょうぶつ32Special FeatuteThe art of ZenSearch Inside Yourself白隠慧鶴筆 江戸時代(18世紀)|東京・龍雲寺蔵墨蹟「このつらを祖師の面と見るならば 鼠を捕らぬ猫と知るべし」ほそかわ しんすけ|1979年生まれ。佛教大学卒業後、京都の妙心寺で9年間修行。2015年から臨済宗妙心寺派龍雲寺(東京都世田谷区野沢)の住職を務める。文・藤原えりみ 写真・久家靖秀《達磨図》だるまず
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