SIGNATURE2016年05月号
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に関して言えば、僕自身はまったくの門外漢です。禅と関係の深い茶道に関心はありますが、中途半端に知っているつもりの人が醸し出す嫌らしさだけは避けたい。なので、外側から覗いている「素人」でいようと思っています。ただし禅に詳しくなくても、画僧としての雪舟の力量には圧倒されます。たとえば《慧可断臂図》。油絵を学 禅1あ すると空間が奥に後退してくれない。んできた人間が「やってはいけない」と教え込まれてきた要素がたくさん入っている。なのに、絵として強い。「それはなぜ?」という観点でこの絵を見ますと、まず岩と地面の表現。達磨に迫る岸壁の輪郭に沿って隈取りがあるのですが、こういうことを油絵の伝統では、これは絶対にやってはダメなのです。またそれとは逆に、地面に接している人や物を表すときには、接地部分に影を入れると、ピタッと地面とくっついてくれる。なのに雪舟は達磨の尻から膝にかけて、その影を敢えて入れていないんです。3次元空間の単なる再現ではなく、「絵」自体に取り組んでいることが解ります。だから強い。禅画ですから、やはり何らかの覚醒がテーマだと思うんですね。「上手く描こう、そっくり描こう」というのではなくて、むしろ「境地をそのまま転写」する。その意味でも、雪舟は進んでゆく境地のままに、「自己模倣」に陥らず、常に初めてのことを試しています。雪舟の絵は基本的に気持ちがいいんですね。絵は輪郭線から描くと思われがちですが、雪舟は薄墨の大ぶりな筆致の部分から描き始めているのではないかと思います。その大ぶりさで画中の気のようなものをつかまえ、闊達な線で定着させる。そうして表れたモチーフ同士を精妙な隈取りで関連づけてゆく。運筆の正確さとか技術的な仕掛けとか、もはや関係ない。しかし全てが物凄く調和している。言語だの論理だの、世間的な約束ごとだのに因われての小賢しさを、どれだけ外せるかということですね。子どもの絵にはその小賢しさというものがありません。描きたいもの、描くべきものだけを直感的にズバッと描く。でも大人になると、ほんの1ミリのズレとか些末な事柄に囚われてしまう。こざかそんなことを思いつつ、改めて雪舟の絵を見ますと、《秋冬山水図》(東京国立博物館蔵)や《天橋立図》(京都国立博物館)も誠に不思議な絵で、雪舟は「欲しいこと」のためには空気遠近法だろうが何だろうが平気で無視するわけです。《天橋立図》に至っては、地平線が4つもありますからね。尋常ならざる人ですよ、ほんとうに。禅を読む34Interview with YAMAGUCHI AkiraSpecial FeatuteThe art of ZenSearch Inside Yourselfやまぐち あきら|1969年、東京生まれ。群馬県桐生市で育つ。96年東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻(油画)修士課程修了。時空の混在し、古今東西のさまざまな事象や風俗が描き込まれた都市鳥瞰図・合戦図など、ユーモアとシニカルさを織り交ぜた作風で知られる。自著『ヘンな日本美術史』(祥伝社)にて第12回小林秀雄賞を受賞。文・藤原えりみ 写真・久家靖秀 協力:芸術喫茶 カフェ デ ザール画家Profile雪舟の“フシギ”を味わう山口晃
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