SIGNATURE2016年05月号
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コレクター、フェリックス・ヘスを自宅に訪ねた。リビングの奥には大きく力強い《一念三千》の書がすぐに、目に飛び込んでくる。替がわからず、説明してもらった。 「江戸時代初期の石川丈山のこの大作《一念三千》。このために畳を買ったよ。解釈はいろいろあるみたいだけれど、一つのひらめきが三千にも広がる。素晴らしいことでしょ。丈山は中国のスタイルの作家。京都の詩仙堂には彼が描いた有名な中国の詩人の肖像画があるよ。初めて買ったのが牷沓行寧の《喜色動天地》、明るい顔をしていれば、よいことが起こるというポジティブな筆の作品だ」フェリックスが禅画を本格的に収集しはじめたのは21世紀に入ってからだが、2008年にはベルリン東洋美術館で〈蛙庵〉コレクションの初の個展が開催されている。彼がそこまで辿りつく道のりは実に長い。幼少からブーメランに興味を持ち、2 北大学でも航空力学に夢中になる。本場での研究を望み、オーストラリア、アドレード大学での職を得た。滞在中、大自然の蛙の鳴き声に興味を持ち、録音を続ける。1980年代にオランダに戻り、蛙の生態を模すロボット、サウンド・クリチャーを発表。アーティストとしてのキャリアが始まる。90年代に、作品展示で偶然に訪れた京都で禅寺の庭を訪れることになり、そこでオランダ、フローニンゲン郊外の禅画コレクション〈蛙庵〉のじょうざんぜんたつぎょうねい静けさに聞く、まさに蛙が教えてくれたことを体感。以降は禅の思想への関心も一層強いものとなっていった。コレクション名も蛙への深い感謝の意が込められている。 「僕が集めている禅画は自分のテイストというよりは、それ自体が持つ力に惹かれるもの。禅画って他の宗教画と比べても断然、自由でしょ。たとえば、丈山は侍の出で禅寺に出家した。作家のバックグラウンドにも興味があるよ。禅僧になる人もいろいろな経歴を持っていて、欧州人では考えられない。それぞれの禅僧の人間性にも魅力を感じるね」取材当日の朝、アメリカのディーラーからサプライズで仙厓義梵の蛙の禅画が届いた。さっそく、漢字練習カードの札と白隠の書が並ぶ壁に吊るす。「今日は素晴らしい日だ」とフェリックスは何度も繰り返した。禅画と数え切れない量の本と音楽CDに囲まれているフェリックスの日常生活、実は禅僧のように質素。「禅画は今、僕にとってのすべてだ」と語る、これ以上の贅沢はない。フェリックス・ヘスサウンドアーティスト・禅画コレクター禅を聴く禅画コレクターになった、エキセントリックな物理学者えけんてんげいText by Yumiko URAE Photographs by John STOELInterview with Felix HESSフェリックス ヘス|1941年、オランダ・デンハーグ生まれ。物理学、航空力学、流体力学など数多くの研究を修める。カエルの鳴き声の作品を皮切りに、生態系と音の連鎖をモデルとしたサウンド・インスタレーションを発表。ベルリン東洋美術館で禅画の面白さに目覚め、2002年にコレクションを開始。禅画コレクション〈蛙庵〉は現在、560点におよぶ。39文・浦江由美子 写真・ジョン・ストール左:白隠の書《大弁財尊天》、天倪慧謙の円相、仙厓の蛙の禅画と丸山応挙の幽霊お雪の模写、漢字練習カードがずらりと壁に並ぶ。他にも蓮月など、美術館ができるほどの蒐集の数々の〈蛙庵〉。現在、ベルギーでの展示の企画が進行中。右:大作《一念三千》を前に。Profile
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