SIGNATURE2016年07月号
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かれこれ二十年近く前、日本のあちこちに仏像を見て回る旅をした時期があった。仏像を見る旅に出たきっかけは、東京で開催された奈良の興福寺の秘宝、仏像等の展覧会に出かけ、その展覧会で阿修羅立像をはじめとするいくつかの仏像を間近に見たことだった。それまで、一、二度それらの仏像を興福寺で観ていたが、仏像だけをゆっくりと鑑賞したのは初めてだった。不思議な感覚に捉われた。仏像が発する奇妙なエネルギーを感じたのだ。断わっておくが、私は信仰心の篤い人間ではない。むしろ、その逆で、若い時は西洋哲学に傾倒した時もあり、〝無神論〟を学び、その影響を受けた時もあったほどだ。ところが展覧会で受けた感動がずっと残り、三度、その会場へ足をむ4    けることになった。二度、三度通ううちに、私は、これらの仏像が千年以上、こうして私たちの目に触れられるほど長く、その姿を守り続けられた理由を考えた。さまざまな理由はあるのだろうが、私がひとつ確信したのは、それらの仏像を千年もの歳月守り続けたのは、仏像に手を合わせてきた、ごく普通の、庶民、日本人であったのだろうということだ。そうでなければ僧侶たちの手だけでは、誤って火などがついたり、天災で本堂が崩壊したりしたら、声を上げる間もなく消滅してしまう繊細な創造物を守り続けることはできないはずだ。そこに日本人の祈りと願いがあったからではと思った。Text by Shizuka IjuinIllustrations by Keisuke Nagatomo

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