SIGNATURE2016年07月号
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「よほど気に入ったのですね」一瞬、韓国にも同じものが、と思ったが、考えてみれば、この弥勒菩薩は元々、この国から伝わったものであることに気付いた。ふたつの国が交流してきた歳月の長さと重さをあらためて再認識させられた。博物館を一周して、私は仏像の前に戻り、しばし鑑賞を続けた。案内の人の言葉にただうなずいていた。日本に帰国してからも、ソウルの書店で購入した半跏思惟像の写真集を何度となく眺めた。年が明けた一月に、韓国の日本大使と逢う機会があった。政治に関わる事柄は断わっているのだが、私の著書のことが面会の申し出に書いてあったので、昼食だけを二人で摂った。若い時にアメリカと日本の大学で学んでいたという大使は穏やかな人柄であった。ゴルフも夫人とされると言うので、気楽に話ができた。デザートが出た頃、私は大使にソウルで見た半跏思惟像に感銘した話をした。大使も、あの像が好きで、国の宝です、と嬉しそうに話し、彼も奈良、中宮寺へ夫人と訪れ、感銘したと言い、少し視線を遠くにむけてつぶやいた。 「あの仏の表情のように、おだやかで、やわらかな時間が、私たちの国の間にはあったのですね」彼は、その頃、ぎくしゃくしはじめた日本と韓国の関係を憂えていた。国境を越えた美しい仏の微笑みが二人の会話を救ってくれた。今、その半跏思惟像が二体並んで、上野の東京国立博物館にいらっしゃるそうである。Shizuka Ijuin一九五〇年山口県防府市生まれ。八一年、文壇にデビュー。小説に『乳房』『受け月』『機関車先生』『ごろごろ』『羊の目』『少年譜』『星月夜』『お父やんとオジさん』『いねむり先生』など。エッセイに、美術紀行『美の旅人』シリーズ、本連載をまとめた『旅だから出逢えた言葉』、『大人の流儀』シリーズなど。近刊に『それでも前へ進む』(講談社)、『無頼のススメ』(新潮新書)、最新刊に『ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石』(上下巻・講談社文庫)』、『ガッツン!』 (双葉文庫)がある。Exhibition Information日韓国交正常化50周年記念 特別展ほほえみの御仏 ―二つの半跏思惟像―会期:2016年6月21日(火)〜7月10日(日)会場:東京国立博物館 本館特別5室(上野公園)公式サイト http://hankashiyui2016.jp/みほとけはんかしゆいぞう          7

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