SIGNATURE2016年08_09月号
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全長5・5キロ、面積わずか5・72平方キロメートルの小さなタキーレ島は、インカ時代から続く段々畑が島全体を覆い、外周を縫うように石畳の坂道が、島頂の広場まで続いている。船着き場から頂まで120メートルしか標高差がない小島だが、標高約3800メートルの湖面から突き出す島だということを忘れてはいけない。桟橋から広場まで石畳の山道を一歩一歩ゆっくりと目指す。すれ違う島の住人と挨拶を交わし、紺碧の空と遠くに見える雪に覆われたボリビアの山景色を楽しみながら歩いていると、酸素が薄いことも坂道を上る辛さも多少和らぐ。この島には、インカの血筋を純粋に受け継ぐケチュア族の民が、今も2000人ほど自給自足に近い生活を営んでいる。隔絶された立地と、1950年代まで本土との交流をほとんど持たなかったことが、インカ時代から続く独特の生活様式を残すことになった。段々畑では区画ごとに薬草やキヌア、ジャガイモ、トウモロコシを育てている。水は湧き水を使い、電気はない。島の重要産物として挙げられるのが織物・編み物である。昔から衣服を作るために羊を飼い、糸を紡いできた。今でもその生活様式に変わりはない。女性は赤のセーターに赤か黒のポジュラと呼ばれるスカート姿。男性は白いシャツにベストと黒のズボンに腰帯をロス島からさらに沖合へとスピードボートの舵を切り、空と水の青一色の世界を進む。巻く。既婚男性は赤い帽子、独身男性は先が白い帽子を日常で着用している。広場では、糸を紡ぐ女性に交じり、男性の編み物姿も見られる。親戚ごとに集まり、織物や編み物をすることが昔からの習慣であり、生活の一部なのだ。一同が集合し、談笑しながら編み物をしている光景は、労働と余暇の区別がない、幸福な生活を物語っているかのようだ。男性が編むのは主にマフラーや帽子、女性は織り機を使ってポンチョやマントなどを織る。30色以上の鮮やかな毛糸を使い、1本ごとに色を変えて細かい色彩のグラデーションや模様を奏でる。親から子へと綿々と受け継がれてきた生活慣習と織物技術は、世界無形文化遺産にも登録されている。島の人々は、歩きながらでも、団欒の時でも編む手を休めない。彼らにとっての編み物は、呼吸と同じように自然な行為なのだろう。道端で女性がオレンジやピンクの人工的な色合いの毛糸玉を束ねていた。「今は島の外からも、多くはないものの物資が手に入ります。民族衣装は、インカ帝国を滅ぼしたスペイン人が持ち込んだ農民服が原型だとも言われています。そうやって自分たちの生活を時代の変化に適応させてきました。旅行客は残念に思うかもしれませんが、今までなかった化学染料の鮮やかな糸を使うことで、織物の表現力を広げられるのは、彼らにとっては喜びでしょう」。島を案内してくれたアレハンドロさんはそう話していた。島一面に広がる段々畑も昔から伝わる農耕の知恵。けっして豊かとはいえない限られた土地では、ジャガイモ、根菜の一種のオカ、トウモロコシを共同耕地の輪作農法で収穫をあげる。地域社会が潤滑に維持されるための様々な知恵が、自給自足の生活を成り立たせている。織物はすべてスペイン征服以前から引き継がれている。糸は島で飼われている羊の毛を紡ぎ、赤色に染める時はコチニール(カイガラムシの一種)を使う。観光客用には伝統的なスタイルや技術を維持しながらも現代的なデザインやイメージを取り入れ、広場にある集会所で販売している。    ウ TITICACA■e Golden Lake Floating in the Sky59

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