SIGNATURE2016年10月号
36/79

なみよけとぎょなりわい岸の周りにあった鰹節屋さんとか、お茶屋さんとかが必要性を感じて一緒に移ることにして、築地本願寺の境内の土地をそれぞれが購入したんです。ですからその名残は今もあって、場内は魚のビジネスで繋がっているコミュニティで、場外は店同士の地で繋がっているという印象があります。また、主人の母の世代は〝おかみさん〟と呼ばれますが、これは女将ではなく、お母さんの訛なので、ひらがなで書きます。昔は東北から冬場に出稼ぎで来た人を家に住まわせていたそうで、そういう従業員にとっても母親的な存在だからおかみさんと呼んだのでしょう」呼び方一つとっても、その距離感が伝わってくる街、築地。この街に住んでいて何に季節を感じるかを尋ねた。 「とても歳時を大事にしていますね。節分であったり、ひな祭りであったり。お彼岸の時は義母が必ずお稲荷さんを作ってくれるので、食べ物で季節を思い起こすこともあります。除夜の鐘が鳴るときには穴八幡宮のお札を貼り替えるのですが、商売人の家ならではのこと。義母が毎年行います」    築地を語る平野さんの表情は明るい。訪れるお客に対して、若奥さんとしてはどのような思いがあるのだろうか。 「まだ築地に足を踏み入れたことがない方には、ぜひ会話のある買い物を楽しんでいただきたいですね。目的意識をもって尋ねて、プロの知識を上手に引き出し、自分のものにする。それは築地だからこそ体験できることです」なまり写真・阿部昌也 文・山下シオン平野文さんが築地魚河岸の若奥さんになったのは、今から28年前のこと。築地のどんなところに魅了されたのか。 「築地の魅力は人ですね。初めて築地の場内に踏み入ったときに私が感じたことは今なお変わりません。一般の方が思い浮かべる築地のイメージといえば、気っ風がよいとか、威勢がよいとか、太っ腹だとかだと思いますが、今でも、そのイメージが裏切られることがありません。そこが誇らしいです。商いをしていることもあって、どうやったら相手が喜ぶかということを常に考えています。それは波除稲荷神社のお祭りのためだけに仕事をしているようなところがあるからかもしれません。一年に一度、波除様の御霊に神輿に入っていただいて、俺たちの仕事ぶりを引き続き見守ってくださいという祈念と感謝の思いで神輿を渡御します。ですから、それぞれが自分の店の前に着くと一番先頭の〝花棒〟を担ぐんです。単にはしゃぐのではなくこの祭りには意味がある。商いを生業にした街だという色が濃いと思います」築地魚河岸三代目の嫁になっても築地に受け容れられたと実感するまでには、かなりの時間を要したという。そしてまた、その一員になれたことで知ったこともいろいろとあると語る。 「まず知ったのは、築地市場には場内と場外があることです。移転すると騒がれているのは場内で、家が商いをしているのは場外です。かつて魚河岸が日本橋から築地に移ったときに、魚河魚河岸の歳時記平野文さんインタビュー  築地に嫁いでからは私は〝若奥さん〟になり、名前で呼ばれたことはありませんでした。声をかけられたときはうれしかったです。Special FeatureTSUKIJI,The World-famous Fish Market and Beyond40ひらの ふみ|声優、ナレーター、エッセイスト。深夜放送のDJを経て、1982年、テレビアニメ『うる星やつら』のラム役で声優デビュー。アニメや洋画の吹き替え、ドキュメンタリー番組のナレーションなど幅広く活躍。89年、築地魚河岸三代目の小川貢一氏と見合い結婚。その後の築地とのかかわりを著書『築地魚河岸嫁ヨメ日記』(小学館・電子書籍も配信中)にまとめた。Fumi Hirano15年目に初めて「文さん、おはよう」と

元のページ  ../index.html#36

このブックを見る