SIGNATURE2016年10月号
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この礼拝堂は、車椅子での生活をはじめた時のマティスの夜間の看護に通っていた若く美しい看護学生、モニーク・ブルジョアが、後年出家して、ドミニコ会修道院のシスターとなり、彼女の助けを借りて、四年の歳月をかけて完成させた教会である。教会は少し勾配のあるちいさな通りに、さりげなく建っており、案内板がなければ見落としそうなほど、村の風景にとけこんでいる。それがいかにもマティスらしくて清々しかった。ニースにあるホテル・レジーナも、晩年のマティスが住んでいたホテルである。私はここを訪れ、その部屋を見ようとしたが、すでに当時の部屋は改装されていた。マティスが切り絵のパーツを、細く長い棒でゆっくりと丁寧に貼り付けようとした壁を見てみたかった。それともうひとつは、その部屋に大きな鳥カゴがあったのを写真で見ていたから、人の背丈より高くて、子供部屋ほどの大きな鳥カゴがどんなものか興味があった。たしかカナリアが十数羽飼われていたと思うが、カナリアたちが老画家にむかってどんなふうに鳴いていたのか、想像しただけで嬉しい気持ちになっていたからだ。晩年のマティスは、地中海の光と、画家を見守る美しい婦人たちのまなざしの中で、やわらかな日々を送ったのだろう。ひとつのカレンダーから、一人の画家の生涯を旅した気分だった。カレンダーの美しい旅もあるのだ。Shizuka Ijuin一九五〇年山口県防府市生まれ。八一年、文壇にデビュー。小説に『乳房』『受け月』『機関車先生』『ごろごろ』『羊の目』『少年譜』『星月夜』『お父やんとオジさん』『いねむり先生』『ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石』など。エッセイに、美術紀行『美の旅人』シリーズ、本連載をまとめた『旅だから出逢えた言葉』などがある。最新刊は、累計140万部を突破した大ベストセラー「大人の流儀」シリーズ、待望の第6弾『不運と思うな。大人の流儀6』。写真・岡田康且      9

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