SIGNATURE2017年01_02月号
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長さの部品からなる、いわば、橋の「キット」を考案したのである。このエッフェルの合理的かつ経済的      な橋は、水の都・サイゴンにいくつか架けられていたようだが、現在確認できるオリジナルは、エッフェルの事務所があったナムキーコイギア通りの近く、ベンゲー運河に架かるモン橋(通称・レインボーブリッジ)のみ。当時の橋の名称は「フランス郵船橋」だった。サイゴンのエッフェル事務所は、サイゴン中央郵便局の構造技術も手がけている。しばしば「エッフェルの作品」と間違えて紹介されている中央郵便局は、実はオーギュスト・アンリ・ヴィルデューの建築作品。美しいアーチ型のヴォールト天井の部分のみが、エッフェルの技術によるものである。聖母大聖堂にしろ、オペラ座にしろ、市庁舎にしろ、これまで、本国フランスのモードをそのまま「コピペ」してきたサイゴンだったが、1920年代から、東洋的な要素を取り入れた折衷建築、通称「インドシナ建築」が現れ始める。現地の伝統や装飾を取り入れた建築様式の出現は、インドシナの統治が、従来の同化政策から協同政策へとスイッチしたことに関連している。フランスのやり方に従うのではなく、ベトナムのやり方にも目配せをしながら統治していくことを宣言したアルベール・サロー総督の理想にかなった建築の形が求められたのだ。西洋化一辺倒の「近代化」を見直し、今まで蔑ろにしてきたベトナムの伝統文化に目を向けようという提案は、フランス官僚やベトナムの新知識階層の間に普及し、その結果、伝統工芸や伝統音楽などの文化面に関しての再評価がインドシナ全域に広がっていく。ベトナムらしい発展を志向しようとするこの動きこそ、新しい建築のスタイル「インドシナ様式」を生むに至ったわけである。インドシナ建築は、屋根部や装飾は伝統建築のそれだが、ボディは鉄筋コンクリートというパターンが多い。最初にこのスタイルを提唱したのは、1924年にハノイにやってきたエルネスト・エブラールだと言われている。フランスと現地民の「協同政策」を可視化する任務を提督から命ぜられたエブラールは、ハノイにいくつかの個性的な建築を残している。彼のアイデアは、ベトナムの建築家たちの間に広がっていった。サイゴンにも飛び火したこの様式の代表としては、歴史博物館、華人街チョロンのビンタイ市場、サイゴン美術館(当時個人邸)などが挙げられる。を排除したモダニスム建築が数多く現れ始める。かくして、サイゴンは、建築見本市としての様相を一層濃くしていくのである。ないがし植民地建築からインドシナ建築へ35人民委員会庁舎は、もとは市役所。ポール・ガルデス設計、1908年竣工。左右対称なルネサンス建築だが、過剰な装飾がついた折衷様式。フランス植民地下のサイゴンの繁栄を今に伝える最大のモニュメントのひとつ。30年代以降、今度は、装飾や土着性Tru so Uy ban Nhan dan Thanhpho Ho Chi Minh86 Le Thanh Ton, Ben Nghe Ward, District 1, HCMCホーチミン人民委員会庁舎

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