SIGNATURE2017年03月号
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 長崎は坂の多い街として知られる。切れ込んだ湾の三方を囲む陸地に平野は乏しく、山の斜面に家々が櫛比している。道幅は狭く、坂の勾配も急で、石段が延々と続いている所も少なくない。余談にはなるが、そのためか長崎では自転車に乗れない、乗らない人がかなりの割合を占めると聞いた。下るのは楽でも、上るのが大変。ましてや石段があるとなれば、はなから自転車は無用の長物となるからだ。  龍馬を主体として結成された『亀山社中』も、狭い石段を上り、それが終わっても一向に幅を広げない細い道を進んだ場所にあった。現在は『長崎市亀山社中記念館』として当時の姿に近い形で整備がなされ、一般公開されている。  ちなみに亀山は地名で、社中とは仲間や結社であることを意味する。薩摩藩を陰なる大スポンサーとし、長崎屈指の豪商であった小曾根家のサポートも受けながら、社長の龍馬が実務を執り行ったと考えるのが分かりやすい。 『亀山社中』のメンバーは約20名。半数が土佐藩からの脱藩者で、越前・越後・讃岐などからの脱藩者も名を連ねていた。その多数が、神戸の海軍操練所にいた龍馬の同志たちで、面々の目指す方向性に〝ぶれ〞はなかった。  龍馬はさらに〝したたか〞だった。薩摩藩の手の平で泳がされるのではなしっぴ龍馬が立ち上げた『亀山社中』。海援隊の前身となった貿易結社34龍馬たちが長崎での拠点とした『亀山社中』は、10畳の母屋と、8畳、3畳の部屋、土間に分かれ、馬小屋と土蔵も備えていた。社中のメンバー全員がそろえば、手狭な空間だったようにも映る。今は遮蔽物で見えないが、当時は縁側から長崎の街と港が一望できたという。右の写真も『長崎市亀山社中記念館』の一部。左はグラバー園と隣接して、美しい姿を見せる『大浦天主堂』。日本最古の木造ゴシック様式の教会で、国宝に指定されている。長崎を代表するシンボル。落成したのは龍馬が存命していた頃だから、彼が目にした可能性も高い。Special FeatureThe Towns and Times of Ryoma長崎市亀山社中記念館長崎市伊良林2-7-24 電話095-823-34009:00~17:00 年中無休長崎

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