く、『亀山社中』を活用して薩長両藩の物資を調達・運搬することで、薩長両藩の和解の糸口を探った。それ以前の薩摩と長州は、互いに雄藩でありながら犬猿の仲。それでも「この両藩が結束しなければ、倒幕は成就しない」と見すえていた龍馬は、奔走した。 とりわけ長州藩は幕府から激しい攻撃を受けていたため、支援が急務だった。イギリス商人グラバーを通じて購入した最新式の小銃7000丁以上を、薩摩藩から借りた船で長州に運んだ。それも功を奏して長州軍は幕府軍との戦いに勝利し、1866年(慶応2年)の薩長盟約締結へとつながった。 歴史的には、この薩長同盟をもたらしたことこそが、『亀山社中』の最大の功績といわれている。思想や理想という目に見えない志を、〝物〞という、可視化でき、手触りが確かで、即効性のあるものに替えて差し出す。武力以前に、あるいはそれ以上に、交易や物販という仲立ちが、具体的な力を発揮することに龍馬は気づいていた。 『亀山社中』はその後、発展解消の形で「海援隊」と名称を変えた。改めて土佐藩からも脱藩の罪を赦され、龍馬は新たな時代へ向けて、故郷、土佐藩のためにも尽力する腹を決めた。 1867年(慶応3年)10月、大政奉還。徳川幕府は、260年以上続いた政権を朝廷に返上した。それからほぼ1か月後の11月15日。坂本龍馬は没した。誕生日と命日が、奇しくも重なった日に。35日本の近代化に貢献したトーマス・B・グラバーの邸宅。旧グラバー住宅は、建築当時そのままの場所に立つが、「グラバー園」全体では、旧オルト住宅、旧リンガー住宅なども移築・復元されている。日本が新しい時代へと移り変わる、大きな節目の息吹を感じられる建物だ。坂の多さ、湾の姿。長崎の地形は、ポルトガルの首都・リスボンによく似ている。江戸時代にはポルトガルから数多くの文化が伝えられたが、かの地から長崎に訪れた人たちも、同様の思いを抱いたのではなかろうか。右は、眼鏡橋。こちらもまた、長崎の美しい景観の象徴。グラバー園 長崎市南山手町8-1 電話095-822-8223 8:00~18:00(最終入園17:40)年中無休
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