薩長同盟が締結された2日後、龍馬は京都・伏見の船宿『寺田屋』にいた。淀川から引き入れた支流の堀川に近く、京都と大阪(大坂)をつなぐ水運の拠点となっていた。この定宿で龍馬は、長州藩の支藩にあたる長府藩士の三吉慎蔵と今後の展望について熱く語り合っていた。 『寺田屋』で働いていたのが、龍馬の妻、おりょう。二人は2年前に知り合い、後には内々に仮祝言を挙げるが、居を構えて共に暮らすことはしていなかった。幕府側からすれば龍馬は厄介な存在で、龍馬から見れば、いつ命を狙われても不思議ではない状況。東奔西走の日々を送る龍馬は、信頼できる女将が取り仕切る『寺田屋』におりょうを預けていた。 女将は彼女を養女の扱いとして引き受け、眉毛を剃って人相を変えさせ、お春という別名で呼んでいた。 そこに刺客が送り込まれた。おりょうは風呂に入っていたが、宿の周囲の様子がおかしいことを察知し、着物を羽織る手間も惜しんで2階の部屋に駆け上がり、龍馬らに異変を告げた。危機一髪、おりょうの機転で最悪の事態には至らなかったものの、龍馬は切り付けられた刃で、右手の親指、左手の親指と人差し指に深い傷を負った。世にいう「寺田屋事件」。相手方は10人以上で押し入った。3人は命からがら同じ伏見の薩摩藩邸に逃げ込み、しばらくの間、そこに匿われた。 寺田屋事件からおよそ50日後、薩摩藩の勧めもあり、龍馬とおりょうは薩摩(霧島)の地へ療養の旅に出た。京都から大坂まで、龍馬は顔を見られぬように駕籠で移動し、おりょうは男装してつき従ったという。淀川の河口からは薩摩藩が用意した船に乗った。途中、長崎に立ち寄り、薩摩の地に着いたのは、京都を出て10日後。そこから主に霧島エリアにて、3か月近く滞在した。日当山温泉、塩浸温泉、霧島温泉、硫黄谷温泉などに長逗留しながら、愛妻であり、命の恩人でもあるおりょうと仲睦まじい時間を過ごした。これが〝日本最初の新婚旅行〞ともいわれる。短期間であれば過去にも例があったかかごひなたやまかくましおひたしもしれないが、ここまで長期間となれば、彼らが初といって差し支えないだろう。 行く先々の渓流で釣りを楽しみ、携えてきた短筒を撃ち放し、高千穂峰に登って、頂上に立てられた〝天の逆鉾〞を引き抜いたり、後の手紙文のままに記せば「まことにおもしろかりし」日々を重ねた。犬飼の滝では、その白い名瀑を前に「この世の外かとおもわれ候」と感想を記している。 二人は奔放で、似た者同士だった。彼らの年譜に目を走らせれば、どう考えてもこの霧島の旅こそが、安らぎ、寛ぎの、最たる、あるいは唯一の時間であった。 彼らが目にした犬飼の滝に行った。建物の類なら昔の面影もないところが多いだろうが、滝ならばほぼ変わるまい。水の飛沫を浴びながら見上げる。ここに龍馬夫妻が来たんだな。 ピストル夫唱婦随か、婦唱夫随か。似た者同士の二人が過ごした温泉郷。 心の疲れも、身体の傷も、この地での長逗留が癒してくれた。 彼らにこの時間が与えられたことは、天からの贈り物かもしれない。 愛妻おりょうと寛いだ、日本初の新婚旅行の地霧島36龍馬夫妻も参拝した『霧島神宮』。そもそもは高千穂峰に建てられていたが、火山爆発の影響を避け、現在の地に遷された。樹齢800年を超える杉の神木が、雄々しい存在感でそびえ立つ。上は、『和氣神社』の拝殿。下は、高千穂峰の遠景。よじ登らなければならないような峻険な山ではないが、仰ぎ見るほどに、龍馬とおりょうは「よくぞ頂上に達した」と感慨深い。宮崎県の高千穂峡に近いと勘違いされることが多いが、まったく別の地域だ。Special FeatureThe Towns and Times of Ryoma
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