SIGNATURE2017年03月号
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. ‘6Number 100 Hawai‘i, Kaua‘i, Lāna‘i,  世界のゴルフを支えているのはプロゴルファーではなく、ゴルフ人口の95パーセント以上をしめるアマチュアゴルファーである。アマチュアゴルファーの存在が、あの華やかに映るプロゴルファーの賞金から、生活までのすべてを支えていると言っても過言ではない。 だからいっとき日本のプロゴルファーに見られたファンを無視するような態度は自分たちの仕事、生活基盤が何によって生まれているかが理解できていない最悪のケースだったのである。近年、少しましになったが、それでもまだ不遜なプロゴルファーはいる。 話が少し逸れたが、ハワイ諸島のゴルフがいかに面白いかを少し話したい。    から二十数年前、私は仲間と、毎年、一月の正月休みの終りから中旬まで、ハワイへゴルフに出かけていた。メンバーはさまざまな人たちの集まりで、グラフィックデザイナー、カメラマン、イラストレーター、コピーライター、普通の会社員から、レストランのコックさんまでいた。男女合わせて十四、五人。四組でプレーをする員数だった。 旅費はすべて、毎月、積立てをして、幹事さんが切符の手配から、コースのティータイムの確保、宿泊するホテル、レンタカーの予約……とすべてをしてくれた。宿泊のホテルも皆の意見で、一流ホテルなどには入らなかった。 ともかくゴルフを中心にすべてのスケジュールが組まれ、男女平等の精神と〝DOYOURBESTNEVERGIVEUP.(ベストをつくしてあきらめない)〞がモットーだった。 毎年、幹事さんがハワイ諸島のゴルフコースのある島を選び、去年はマウイ島、今年はハワイ島、来年はカウアイ島と、島を巡るゴルフツアーで、最後の夜はオアフ島に戻り、五日間の表彰式を行なった。 幹事さんは大変で、ハワイのゴルフコースの情報を一年中集めていて、今年は新しい面白いコースがグレグ・ノーマンの設計で完成したとか、どうやらラナイ島にゴルフコースができるらしい(当時、ラナイ島にゴルフコースはまだなかった)と教えてくれて、酒場で仲間が逢うと、新しい年のゴルフコースへの期待がふくらんだ。 冬の最中の東京で、常夏の気候でのゴルフプレーを想像することは悪いものではなかった。 あれはいつの旅だっただろうか。 朝、目覚めたら、仲間の一人の体調が悪くなっていて、持って来た薬では思うように体調が快復しなかった。ゴルフよりも仲間の体調が大事と、3台のレンタカーは並んで島の病院へむかった。ご存知の方もあろうが、海外での病気で大変なのは、医療システムの違いである。医療費も日本より高額だが、注射一本打ってもらうのにも書類にサインが必要となる。ハワイは日系人が多いので、日本語がわかり、日本人の医療の考え方に理解ができる医師がいないわけではないが、その島に日系人の医師はいなかった。 その当人は身体も頑強で病気知らずだった。そして何より、誰よりゴルフ好きだった、なのに痛みが取れず、青い顔をしていた。それでも彼は、いいから皆はゴルフをしに行ってくれ、と何度も口にしていた。しかしMaui &Oahu

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