SIGNATURE2017年03月号
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 長崎における「べっ甲細工」の歴史は、三百数十年以上前に遡る。鎖国政策を取っていた時代にあって、長崎はオランダや中国との貿易が許されていたため、原料を入手するにも、技術を習得するにも、恵まれた条件にあった。元来は中国で花開いた技術で、秦の始皇帝の王冠の一部には、べっ甲を用いた装飾がなされていた。日本では、遣隋使として派遣された小野妹子が持ち帰った献上品のひとつに、べっ甲を使った装飾品があった。その貴重な品は、現在も奈良・正倉院の宝庫に「我が国に現存する最古のべっ甲」として大切に収蔵されている。 べっ甲細工の原料は、タイマイというウミガメの背甲、腹甲、ツメと呼ばれる体の縁。背甲は茶、黒、黄の斑点模様を特徴とし、なかでも黄色部分が多いものが珍重されてきた。これを上回るのが希少価値の極めて高い飴色一色の腹甲とツメの腹側。眼鏡橋近くの『江崎べっ甲店』は、で、脈々と伝統技術を継承してきた。その昔、かんざしなどの装髪具は丸山花街の芸妓衆からも人気を集め、ここ長崎を起点として、京都や江戸の粋人たちの間にも広まっていった。5代目の時代には宮内省御用達の誉れを賜り、明治・大正・昭和の時代を生きた6代目は、べっ甲の業界で唯一無二の無形文化財となった。精緻な技は、奥ゆかしくも華やかな光を放ち、身に着けた人々に洗練の美をもたらす。おののいもこ豊かな歴史に裏づけられた、多様で独自の文化を持った長崎の街。江戸時代には、京都や江戸からも、最先端の技術や知識を求めて賢人たちが足を運んだ。その輝きは、今も珠玉の光を発している。いつの世も粋人たちの嗜み華やかな光長崎44『江崎べっ甲店』歴代の作品は、海外からも最高の賛辞が寄せられてきた。上の写真は、パリ万国博覧会に出品した「鯉」。大正初期に開かれたサンフランシスコ万博に出品した「岩上の鷹」に引き続いて、グランプリに輝いている。ワシントン条約によって、現在タイマイの“貿易”は禁止されているが、こちらの店ではその制度以前に原料をストックして備えてきた。9代目以下、10名近い職人たちの技に揺るぎはない。お問い合わせ江崎べっ甲店長崎市魚の町7-13 電話095-821-0328営業時間9:00~17:00 年中無休http://www.ezaki-bekko-ten.co.jp/18世紀の初頭に生まれた初代から、現在の9代目ま

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