にかわこくそうるしかねみちごうし 醍醐寺の不動明王踏下げ像は、同寺最大の行事である「五大力尊仁王会」、通称「五大力さん」で祈りの対象になってきた仏様。しかし、安置される不動堂から法要を行う金堂への移動を繰り返してきたために、体と脚の接ぎ目が離れ、剥落も生じ、危険な状態にあった。本像の修理にあたった『あきかわ造仏所』の岩崎靖彦さんにお話を伺った。 一般的な修理の手順としては、まず、刷毛で灰や炭などの汚れを取り除いた後、湿式のクリーニングを行う。剥がれそうな表面彩色層に水で溶いた膠を染み込ませて和紙をあて、てのひらの弾力と体温を利用しながらやわらかく押さえ、同時に、汚れを和紙に吸着させていく。その後解体し、各部材ごとにさらに細かな修理や調整を施したのち、膠等で接着してふたたび組み上げる。接ぎ目の隙間には木の粉を漆に混ぜた木屎漆や薄い木片を詰めて補強する。 「じつは、作業にかかる前の準備に一番時間がかかっています。仏像は唯一無二の存在ですから、『うまくいかなかったので取り替えます』というわけにはいきません。綿密に調査して、醍醐寺様、仏像彫刻の研究者と三者で検討委員会を数回開催し、修理の方針を決めているのです」 この調査で、不動明王が手にする宝剣に「包道」と銘が刻まれていることが明らかになり、裏にも墨で文字が記されている可能性が浮上した。また、像内には般若心経と盒子という小さな金属の容器などが、紙に包まれた状態で納められていた。経典については紙の専門家が虫喰いの跡などを修復する。 この像の制作年代は定かではないが、岩崎さんは、特に足の写実的な造形に、鎌倉時代あるいはそれに近い時代様式が感じられるという。「不動明王のお姿については、8世紀の古い経典のひとつに『充満せる童子の形なり』と記されているとおり、子どものような肉々しいスタイルをとります。この石膏は、私の息子の1歳頃に取った足型ですが、お不動様の足と見比べると、指をぎゅっと握りしめたところ、ぷくぷくした肉取り、爪の感じなどが、よく似ています。踏下げ像は片足が丸々露出しますから、仏師がこだわって作ったのでしょう」。 岩崎さんの大学時代の専攻は、じつはインダストリアルデザイン。カリキュラムに組み込まれていた古美術研究旅行などを通じて古典彫刻にのめりこみ、修復の世界に飛び込んだ。しかし、同じ芸術に携わる仕事でも、仏像の修復家は、自分を表現するアーティストとは真逆をいかなければならない。 「技術があると、どうしても自分を出したくなるものです。私も若い頃は、欠けている部分を彫って、『どうだ!』と見せたい欲がありました。しかし、世界的に文化財修理は現状維持が大鉄則です。残っているオリジナルが絶対で、修理はその延命処置にすぎません。残されたものから施主の考えや仏師のやろうとしたことを汲み取り、自分をシャットアウトする。それが一番難しいところです。平安、鎌倉、それぞれの時代の様式や雰囲気があるように、どこかで平成の匂いが出てしまっているのかもしれませんが、それを無に66踏下げ像の垂下した片足はふっくらとして人間らしい。石膏の足型(右)は岩崎さんの息子さんの幼少期のもの。平成の私の修理が、仏像そのものの経年劣化に同化することが理想なのです。代々祈りを捧げていく人々のためにも……――岩崎靖彦(あきかわ造仏所)
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