歌舞伎の中でも、もっとも豪華な大道具が飾られた作品。花の盛りの吉野山に彩られた『妹背山婦女庭訓』三段目は、舞台右に背山、左に妹山を望み、中央には吉野川が流れている。川が動いているように見せる「滝車」と呼ばれる技巧を使い、その流れはとうとうと客席まで流れてくるよう。観客席が吉野川に見立てられ、視覚的な要素も相まって、激流のようにドラマが押し寄せるという趣向。 冒頭、川を挟んで両側の堤に見立てた両花道を、それぞれの領主が歩いて来るが、この二人は元来、確執のある間柄。しかし、背山側、大判事の息子・久我之助と、妹山側、定高の娘・雛鳥は愛し合っており、いわゆる許されない恋……。こんな悲恋であるゆえ、この舞台はよく『ロミオとジュリエット』にたとえられる。政治的な事情もあり、内心ひそかに悩み苦しんでいた親たちは、それぞれわが子を殺すという悲劇によって二人の結婚を許す。雛鳥の嫁入り道具に見立てた雛道具を、川に流して対岸へ「葬輿嫁入り」*させる場面がクライマックスだ。 川を隔てて左右対称に仕立てられた舞台同様、上手側は忠義という建前の世界に生きる男性世界、下手側は愛情いもせやまおんなていきんそうよかみてしもてで紡がれる繊細な女性世界と、両側の対照的な物語が交互に、拮抗しながら進んでゆく劇構造も斬新だ。 明和8年(1771年)に初演された歌舞伎『妹背山』は、もとは近松半二作の人形浄瑠璃。当時、盛りを過ぎた名門劇場・竹本座の起死回生を懸けた新作は大ヒットとなり、一座は息を吹き返したという。数か月後に歌舞伎で上演されていたというから、その人気ぶりがうかがえる。半二は晩年まで創作エネルギーが衰えなかったが、60歳目前で死去。岡本綺堂はその戯曲『近松半二の死』で、歌舞伎に押されて浄瑠璃が衰退していくのを憂いながら死んでゆく半二を描いた。 ちなみに昨年9月上演の『吉野川』が3月26日にテレビ放映(Eテレ)され、半二絶筆の『伊賀越道中双六』も国立劇場で上演中。最後の浄瑠璃作者ともいえる半二の、スケールの大きな世界に触れるチャンスだ。CSignature歌舞伎名場面文・川添史子 イラスト・大場玲子(兎書屋)川の両岸 第10で回繰り広げられる、華やかにして哀切きわまるドラマText by Fumiko KAWAZOEIllustration by Reiko OHBA(TOSHOYA)*昔、嫁に行った娘が二度と実家に戻らないように、婚礼を葬礼と見立てた嫁入り。妹背山婦女庭訓「ひな鳥=初代 岩井紫若(七代目 岩井半四郎)」19文政7年(1824年)五渡亭国貞(初代歌川国貞)画東京都立中央図書館特別文庫室所蔵いもせやまおんなていきんColumn1“Kabuki”a sense of beauty
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