SIGNATURE2017年04月号
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 グリューネ・ゾーセとは、パセリ、チャービル、クレソン、ボリジ、サラダバーネット、スイバ、チャイブのハーブを細かく刻み、サワークリームやヨーグルトで混ぜ合わせたソースである。これらのハーブは、元々フランクフルト界隈で自生する野草で、復活祭前の「緑の木曜日」から夏が過ぎて初霜が降りるまで採取できる。今では、ハウス栽培で冬でも入手できるようになったため一年中食べられるが、やはり太陽を浴びて育った露地物の味にはかなわない。茹でたジャガイモや卵に添えて食べるのが一般的だが、アレンジは自由。シュニッツェル(カツレツ)にかけても美味しい。しかし、あくまでも料理の主役は緑のソースとなる。 また、各家庭やレストランで独自のレシピが多数あり、好みの野菜の分量で混ぜ合わせる調味料によって、味は千差万別。春にはグリューネ・ゾーセ祭りも催され、8日間にわたって最も優れたレシピが競われる。フランクフルターにとって、緑のソースは、まさに家庭の味であり、故郷の味なのだ。 そんなグリューネ・ゾーセを「ママの味」と好んだのが、文豪・ゲーテだ。ゲーテは1749年8月28日、神聖ローマ皇帝閣下・正顧問官であった父、ヨハン・カスパー・ゲーテと、フランクフルト市長の娘であった母、カタリーナ・エリザベートの間に生を享けた。フランクフルトの裕福な市民階級に生まれ育ったゲーテに、乗馬やダンス、ピアノなどの様々な教育を授けたのは、知性に富んだ父が呼ぶ家庭教師だった。特にゲーテの才能が発揮されたのは語学で、少年時代からすでに英語やフランス語、イタリア語など、母国語以外に6か国語ほど習得していたという。そんな習い事で忙しいゲーテの貴重な自由時間は、台所や地下室に出入りして美味しいものを失敬し、祖母の部屋で過ごすひとときだった。ゲーテの母も祖母も料理上手で、特に祖母は、肉料理からスイーツまで、数多くのレシピ本を残している。小さい頃からさまざまな食材に出合い、舌が肥えたゲーテも好んで食べたというグリューネ・ゾーセは、まさに大作の〝生みの原動力〞だったに違いない。マイ南ン側川のをザ挟クんセだンフ・ラハンウクゼフンル地ト区のは、下町の雰囲気漂う地元民と観光客で賑わう繁華街。ここでは、ビールよりもフランクフルトの地酒・アプフェルヴァイン(リンゴ酒)と、グリューネ・ゾーセがたっぷりとかかった料理を愉しみたい。 待望のグリューネ・ゾーセを味わっていると、「うちのソースは今年のチャンピオンに選ばれたんですよ。ゲーテのような崇高な詩が浮かんでくるだろう?」と、ウェイターが冗談交じりに話しかけてきた。どうやら、ゲーテとグリューネ・ゾーセは、フランクフルターにとって誇るべき存在のようだ。崇高な詩は浮かんでこなかったが、ハーブたっぷりのヘルシー料理は、春の訪れを五感で感じさせてくれた。FrankfurtFrankfurt Goethe Houseフランクフルト ゲーテ ハウスGroßer Hirschgraben 23-25 60311 Frankfurt am Main + 49 6913 8800http://www.goethehaus-frankfurt.de フランクフルトの中心地に位置するゲーテの生家は『ゲーテ ハウス』として一般に公開されている。当時の雰囲気を残す家具や、芸術家との関わりを示す当時の絵画などを展示する。隣接する『ゲーテ博物館』ではゲーテ時代の絵画、ゲーテと深い関係のある品々などが展示されている。34フランクフルト

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