人Satoshi KODAIRA016年12月4日、「ゴルフ日本シリーズJTカップ」最終日。18番ホールのグリーン上で、パーパットを外し天を仰ぐ小平智プロ。ジャンボ尾崎が持つ27歳248日の最年少メジャー三冠記録を塗り替えるべく、1打差の首位で最終ホールを迎えていたが、27歳84日の彼に勝利の女神は微笑まなかった。同組で2位につけていた朴相賢がチップインバーディを決め、1オンしていた小平プロが3パットのボギーとし、逆転を許したのだった。 「本当に悔しかったですね。でも『神様が与えてくれたいい機会』だったと、普段はそういうタイプでもないのですが、今は心から思っています。もしあそこで勝っていたら、やはり結果に満足してしまい、気の緩みが出たと思います。あの経験があったことで、ゴルフの難しさを再認識し、もう一段上を目指さなければいけないと気を引き締め、オフから鍛えてきました」 そもそも小平プロがゴルフを始めたのは「思いどおりにうまくいかない」から。元・プロゴルファーの父親の影響でクラブを振ることはあったが、小学生時代はもっぱら野球少年。守備はサード。ところが野球はチーム競技なので、自分が活躍しても勝てないことがあるし、逆に自分がミスしても勝つことも。その勝敗の責任を直接担えないことが彼には不満だった。さらに自分の性格に一番合っているのはピッチャーだと認識し、それが無理ならば続けても意味がないと、自分の居場所を冷静に分析。中学に入ってしばらくはいわゆる帰宅部で、本格的にゴルフに取り組んだのは中学2年の時。彼の世代では遅いスタートといっていい。「野球のほか、テニス、サッカー、子供の頃からたいていのスポーツはすぐにそれなりにできました。ところがゴルフはどうにもうまくいかない。よく言う『止まっているボールなのに』の世界。悔しいのですが、逆にそれが面白くてのめり込みました」 今もゴルフが面白くて仕方ないという。 「1年間一生懸命頑張っても、スコアは1つか2つ縮まるぐらい。練習の過程で自分がうまくなっているかさえ自覚できないことも。でも難しいからこそ、やればやるほど面白いし、そんなふうに心から思えるものを仕事にしていることに幸せを感じます」 最年少メジャー三冠に挑んだごとく大舞台に強い小平プロだが、メンタル面でも高い意識があるのだろうか。 「メンタルという言葉は自分にとっては曖昧なもの。ショットは自分で決めて自分でしたことなので、選択や結果に対して分析はしますが、反省はしません。ただ、脳科学者の林成之先生の教えが自分のイメージに合い、『体を動かすのは脳だ』というメソッドには取り組んでいます」 小平プロらしく「自分に合う」と踏んで取り組んだ脳と動作の連動は、プレーにもいい影響が出ているという。 「海外のトップ選手はビッグスコアを連日重ねますが、『まだまだ』と脳を満足させないからだといいます。脳は楽をすることを好み、一度満足するとギアを入れ直すのが難しくなる。一日の試合の中でも1つのバーディに脳が満足しないよう意識しています。2015年の『日本オープンゴルフ選手権』でも一喜一憂せず、優勝することだけをイメージして優勝しました」 さて、アマチュアゴルファーにとっても参考になる具体例を尋ねてみた。 「たとえばグリーンの真ん中あたりとか、右のほうとかでは駄目で、ピンの右2ヤードに打つというレベルまでターゲットをはっきりさせることが必要です。脳から明確な指令を出すことで、体がそれを実践すべく反応し、成功率が高まると言われています。そして『練習場ではうまくいくのにコースではできない』というのも、練習場で明確な目標を設定して打っていないからです。コースで急に狙っても、意識するあまりに右肩が前に出るか下がるか。ほとんどのミスがそれで、数字でも実証されています」 次の練習から実践して自分にとってのビッグスコアを狙いたいものだが、小平プロは昨年秋の『ブリヂストンオープン』で、初日91位から大逆転勝利を遂げている。 「あの時は特別で、とりあえず予選を通ればと気持ちを切り替え、次はトップ10入り、最終日は1つでも順位を上げようと思っていたら優勝してしまった。なんの気負いもなく、自分でも不思議な感覚。やっぱりゴルフは奥が深いですね(笑)」 そして小平プロは今後、海外をより明確なターゲットに据えている。 「プロの世界に入り、高い技術を目の当たりにしながら努力していくうちに、自ずと実力が上がりました。次の段階として海外を目指すのも、今すぐには通用しないかもしれないですが、そこにいることがさらなる高みへ繋がると信じているからです」 思いどおりにならない困難な道が、逆に面白い。今も彼を支えているのは、少年時代の思いのままなのだ。no.SignatureInterview1272こだいら さとし|1989年、東京生まれ。元・プロゴルファーの父親の影響でゴルフを始め、ジュニア時代はナショナルメンバーに名を連ねる。アマチュア時代の2010年に、1993年の片山晋呉以来史上2人目となるチャレンジツアー制覇を成し遂げ、大学を中退してプロ転向。2013年、「日本ゴルフツアー選手権 Shishido Hills」で単独首位から逃げ切ってツアー初勝利。15年の「日本オープン」で早くもメジャー2勝目。16年は初日91位と出遅れた『ブリヂストンオープン』で2日目から66、62、67と猛チャージをかけて大逆転。通算4勝目を挙げた。ティショットの飛距離と正確性を数値化したトータルドライビングでは例年上位に入るショットメーカーで、大舞台での強さが目立つ。2
元のページ ../index.html#10