眼下に相模の海を一望する、熱海『MOA美術館』。尾形光琳《紅白梅図屏風》、野々村仁清《色絵藤花文茶壺》、手鑑「翰墨城」の国宝3点および重要文化財66点を含み、所蔵品数は約3500点に上る。その日本美術の殿堂ともいえる美術館が、この2月、1982年の開館以来初となる大規模な改修を終え、リニューアルオープンした。主たる部分のデザインを手がけたのは、現代美術の世界で第一線に立つ杉本博司と、若き建築家・榊田倫之の二人が主宰する『新素材研究所』。現代美術作家というと、センセーショナルで独自の個性を主張する表現者だと思われるかもしれない。しかし、近年建築の仕事にも積極的に取り組んでいる杉本がここで見せた振る舞いは、そうした通俗的なアーティスト像をまったく覆すものだ。展示される古美術を最大限に尊重し、作品と鑑賞者との間によりよい関係をもたらす場を設えること。榊田とのパートナーシップのなかで、その一点に心血が注がれた。 他の建築家と比べた杉本の最大の強みは、なんといっても自身の美術作家としての経験に違いない。どの建築家よりも多くの作品に親しみ、また自作の展示を通して、数々の美術館の空間と深く関わってきた。さらに若かりし頃はニューヨークで生活のために骨董業を営んでいたという、筋金入りの目利きでもある。そうした永年の経験によって、室内環境に極めて繊細な配慮が求められる日本美術の展示室においても、単に美術館サイドの要望に応えるだけではない、自らの確信に基づく空間のデザインが可能になった。 エントランスで人間国宝・室瀬和美による漆塗りの扉をくぐり、南東側一面の窓で熱海の海を展望しながら、特注の敷瓦が敷かれた露地のような通路を抜け、展示室へ。そこでなにより驚かされるのが、各作品に向き合ったときの迫力である。間を隔てているはずのガラスの存在を感じないのだ。秘密は鑑賞者の背後に立てられた黒漆喰の壁にある。その壁と低反射ガラスの使用によってガラス面の映り込みを防ぎ、そして徹底した照明計画が、見慣れたはずの作品の印象を一変させる。 江戸時代以前、作品は日常の自然光のなかで見られるのが普通だった。一方、現代の美術館では、作品は展示ケースに入れられ、人工照明を当てられる。杉本が立ち向かった困難な課題は、そうした時代の隔たりを可能な限り埋めることだった。 そのため、展示台は膝上の高さで畳が敷かれ、かつての座敷での鑑賞を追体験させる。また柱や框には由緒ある古材や屋久杉、樹齢数百年の行者杉などを用い、均質を旨とする近代の美術館に時の厚みを与える。そして展示室の核に、《色絵藤花文茶壺》を浮かび上がらせる常闇の異空間。インド砂岩に覆われた重厚、かつ明快な空間構成をもつ既存建築の内部に、新旧の要素が響き合う、陰影に富んだ多彩な場所がつくり出された。忠之 文・長島明夫かんぼくじょうかまちぎょうじゃすぎ写真・ 静岡県熱海市桃山町26-2 TEL: 0557-84-2511 www.moaart.or.jp※現在は《紅白梅図屏風》の展示は終了しています。31MOA美術館
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