SIGNATURE2017年05月号
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た  MOA美術館のリニューアルオープンから1週間後の、雲ひとつなく晴れ渡った午後。美術館の一角にある能楽堂において、杉本博司の企画・監修による新作能『利休―江之浦』が上演された。古典にも造詣が深い杉本は、文楽や狂言といった伝統芸能のフィールドで自身の作品とのコラボレーションを手掛けてきたが、本格的な能は初めての挑戦だ。 きっかけは、土地だった。「私は何かに導かれるようにある土地に辿り着いた。その土地の名を江之浦という」(「利休―江之浦考」)。そんな書き出しで、この作品をつくろうと思った経緯を杉本は綴っている。「相模湾を目の前に望む小さな岬の岡、私はここに庵を結ぼうと思った」。その庵こそ、現在、杉本が建設を進めている小田原文化財団の文化施設『江之浦測候所』だ。そこで杉本がしようとしているのは、中世の「会所」文化の再現。室町八代将軍・足利義政が、後に銀閣寺と呼ばれる東山の地で、お気に入りの美術品に囲まれ、茶、花、香、連歌、能といった世界に耽ったように、それぞれの道の達人たちが集う現代の「会所」をつくろう、という企みである。 すぐ近くには、かつて豊臣秀吉が北条攻めの際に、千利休に命じて結ばせた茶室・天正庵の跡があった。ここで長期戦に臨んだ秀吉は、利休が点てた茶を飲み、武将たちと優雅に策を練ったことだろう。利休は韮山で切り出した竹でつくった花入を、このときはじめて使ったといわれている。土地を手がかりに、杉本の妄想は肥大化していく。「庵とともに古様な能舞台をも作ることにした。現場能とでも言うのだろうか、故事来歴の場、そのすぐ隣でシテ(主人公)の魂を呼び寄せようと企んだのだ。それも利休その人が手ずから削った花入を用意して。(中略)茶頭には直系の御血筋、千宗屋氏にお頼みしよう。こうなっては、シテ利休の霊は現れざるを得ない筈だ」。思いを残した亡霊が、ゆかりの土地に現れる、というのは能の王道。そして、直感を現実にしてしまうところが、杉本の凄さだ。ちりばめられたさまざまな点が、長い構想の時間を経て、この日、熱海の能舞台で一本の線につながった。 何もない舞台に、杉本が「さび板」と呼ぶ古材の板に掛けられた、利休作と伝わる竹花入。骨董の世界では、道具が人を選ぶというが、まさに運命としかいいようのないめぐり合わせで杉本のもとにやってきた。 物語は、利休切腹から30年後。天正庵跡を訪ねたかつての愛弟子・細川忠興の前に、利休の亡霊が姿を現すという展開は、能の定式に則っている。ひとつ大きく異なったのが、前後の場をつなぐ「中入」の場で、利休の霊を慰めるために茶を点てるという仕掛け。千宗屋は、無言のうちに舞台で茶を点て、花入に献じた。選ばれたのは、竹花入と同じく小田原攻めでの野点に利休が好んだという、携行用の棚・旅箪笥。そして桃山時代の道具類。 終曲、幕に入っていく利休の魂は、いまだ鎮まってはいない。時と場が用意されたなら、またそこに引き寄せられ姿を現すに違いない。忠之 文・氷川まりこのだて写真・ 新作能『利休―江之浦』。企画・監修 杉本博司、作・馬場あき子、演出・浅見真州、囃子作調・亀井広忠、茶の湯監修・千宗屋。後シテの利休の霊は浅見真州。2017年秋にニューヨークでの再演が予定されている。千 宗屋(せん そうおく)|1975年、京都生まれ。茶道三千家の一つ、武者小路千家15代次期家元として2003年、後嗣号「宗屋」を襲名。慶應義塾大学大学院修士課程修了(中世日本絵画史)。文化庁文化交流使を務めるなど、領域を限定しない学際的な交流の中で、茶の湯の文化の考察と実践の深化を試みる。www.mushakouji-senke.or.jpまさくに35

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