目が覚めるような鋭利な水平線によって空との境界が引かれた大海原。東京の下町で生まれ育った杉本博司の記憶に残るもっとも古い景色が、旧・東海道線の湘南電車から見たその小田原の海なのだという。そして2009年、日本文化と現代美術の振興を目的とする財団を杉本が立ち上げたとき、本部を構える土地として選ばれたのが、東京でもなければニューヨークでもない、その小田原だった。財団は『小田原文化財団』と名づけられた。それと並行して、かの地にふさわしく、また財団の精神を具現化するような建築の設計が始められた。 敷地は急峻な箱根外輪山を背にして相模湾を望む小田原市江之浦、太古から続く壮大な自然を感じさせる場所だ。『江之浦測候所』という不思議な施設名は、古代の人々が自らの存在する場を天空との関係のなかに見定めたことに起因する。杉本はそれをアートの起源ととらえ、そこに立ち戻ってみることに現代的な意味を見た。施設の全容はまだ公にされていないものの、古代建築のように太陽の動きや地軸の角度と連動した建築群が建つことになる。 今秋の完成を目指して建設は大詰めだ。『新素材研究所』としては初めての新築の作品になるが、計画そのものはIZUPHOTOMUSEUMの設計に先がけており、すでにする榊田は言う。「お世話になっている石屋さんに、ここは日本のサグラダ・ファミリアだと言われて苦笑いしました。杉本自身が施主写真提供・小田原文化財団 文・長島明夫でもあるので、いったん完成した後も、折に触れ手が入れられていくことになるでしょう」。 いつまでも完成しないサグラダ・ファミリアの比喩は、出入り業者としての偽らざる実感だろう。しかしそうした建設の態度は、巨大な西洋の教会建築だけでなく、日本の〝普請道楽〞の伝統とも通じるはずだ。たとえばり、さまざまな様式の建築が庭園の自然との調和のなかで建てられていった桂離宮。江之浦測候所も同様に、豊かな自然に根ざし、現代の技術を駆使した全長100メートルのギャラリー棟、伝統を受け継ぐ能舞台や茶室、そして室町時代の遺構である門の移築といった、時代の精神を湛えた建築が共存するよう、時間をかけて計画されている。 あるいはその手間隙こそが、新素材研究所の活動の根本を示すものなのかもしれない。榊田はこう続ける。「近代以降、建築はなるべく早く、設計図どおりに建てることが要求されます。標準化・平均化が前提となり、古い素材や構法は淘汰される。新素材研究所という名称は、そうした時代の傾向に対するメッセージです。確かにわれわれは古い素材を用いて建築をつくる。しかしそれで現代の価値ある建築ができれば、その古い素材こそが新しいといえる」。 三島、熱海、そして小田原。杉本博司と新素材研究所の探究が、それぞれの場所を足がかりに着実に進められている。10年近い年月がかけられている。杉本と協働ギャラリー棟先端部の完成予想イメージ。©Hiroshi Sugimoto+New Material Research Laboratory 神奈川県小田原市江之浦 www.odawara-af.com お問い合わせ:info@odawara-af.com17世紀、八条宮智仁と智忠の親子2代にわた39小田原文化財団 江之浦測候所
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