SIGNATURE2017年05月号
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「ほな伊集院君、ぼちぼち行こか……」 「ほな中へ行こか」 〝中〞とは、銀座のことです。銀座を遊びの主戦場としている男と女に 「伊集院君、そんなかたくなにならんかて、むこうの方から、あんたに 「伊集院君、こないだ面白いオトコと逢うたんや。吹雪いとる心斎橋をラとなる若者が、毎夕、六本木、青山辺りで食事をし、銀座に入って夜半まで飲み、それからまた赤坂、六本木へとくり出して、ただただ酒を飲み続けていたわけです。 時には、店を出ると、すでにお天道さまは昇り、渋谷辺りの学校へ通う小・中学生と並んで、ふらふらとした足取りで、帰路につく日々もありました。 トモさんと知り合ったのは銀座のどこかの酒場でした。何かの折に席を同じくして、意気投合(年下の私がこう書くのは失礼なのですが)し、毎日が〝二日酔〞の日々を過ごしたのです。 夕刻、どちらからともなく連絡を取り、トモさんがこう言います。 美食家であったトモさんが飯屋を選び、腹ごしらえが済むと、となりました。とって、東京の〝中〞とは銀座の街のことを言い、銀座以外の街はすべて〝外〞となるのでした。しかしあからさまに〝外〞とは口にしません。〝中〞とだけ口にし、それ以外の名称はないのです。 なぜ毎晩、あれだけの量の酒と、あれだけの時間を酒場で過ごせたのか、今考えてもよくわかりません。 私が今、作家として暮らしているのは、大半はトモさんの、酒場でのつぶやきのお蔭です。小説を書きなはれと、〝小説の神さん〞が言うてくるのと違うか。肩に力が入っとったら面白いもんは出てきいへんで」半ズボンとTシャツで下駄履きの男にいきなり声をかけられてな。朝まなかおもろで飲んだんや。あれはもしかして〝酒場の神さん〞やなかったかな、と思うて」 「ご馳走してもらったんですか?」 「いや、こっちが皆払うた」 「そら神さんと違って、ただの酔っ払いでしょう」 「そやろか。いや、あれは神さんやったで」 トモさんは人を騙すことを生涯しなかった||。あれほど酒場に一緒にいても、怒り出すことがなかった。怒らないのは小心者だからではない。若い時は国体へ出場した名ラガーマンであった。三十数年前の東京 第一〇二回銀座6

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