の酒場は、あちこちでとっ組み合いがあり、目の前を椅子やグラスが飛んで来た。そんな中でも、トモさんは、そんなものを避けつつ、平然と飲んでいた。 私の初めての小説のカバーデザイン、挿画を描いてもらった。その『三年坂』という題の短編集に描いてくださった一人の男が寝そべって空を仰いでいる筆太の挿画は、私の小説の情感を指し示してくれたと今も信じている。 いつの頃からか、私たちはゴルフをともにするようになり、昼は芝生のゴルフクラブ、夜は銀座のクラブと、クラブ活動にいそしんだ。ゴルフは行くが、やはり酒場が主戦場であることには変わりはなく、夏などは、前夜の酒を顔や背中から汗として大量に流し、ボールを追い駆けた。日本全国のゴルフコースをプレーした。年明け後に皆で出かけるハワイ、アメリカ西海岸、ペブルビーチやスパニッシュベイ、パインハースト等の海外でもラウンドした。 いつの頃からか、トモさんはバンカーが苦手になり、独りで砂と格闘していた。それでもあきらめることは一度としてなかった。 ゴルフの後の酒場でつぶやいた。 「君たちのゴルフはまだ青い。ゴルフの真髄はバンカーの中での孤独と絶望を知った時から本物になるんや」 つい先日、トモさんも参加していた〝勉強会〞というゴルフで仲間と献杯の会を決めて、トモさんの好きだった相模カントリーでプレーした。13番のショートホールのバンカーに私のティーショットが入った。そこで信じられないほどの数のバンカーショットを打つ破目になった。顔見知りのキャディーが、 「トモさんが帰って来たみたい」 私は大きく肩で息をしてグリーンに上がった。皆が私を見て吹き出した。耳の底で声がした。 「ようやっとあんたもゴルフの真髄が見えたやろう。今夜も中へ行くで」 ゴルフというスポーツは、時折、フェアウェーを流れる風の中に、いとおしい人たちの声を聞くということが、やっと真実だとわかった。 来月はもう一度だけ、トモさんの酒場の極意を書かせてもらいたい。Shizuka Ijuin7一九五〇年山口県防府市生まれ。八一年、文壇にデビュー。小説に『乳房』『受け月』『機関車先生』『ごろごろ』『羊の目』『少年譜』『星月夜』『お父やんとオジさん』『いねむり先生』『ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石』など。エッセイに、美術紀行『美の旅人』シリーズ、本連載をまとめた『旅だから出逢えた言葉』などがある。最新刊に『東京クルージング』(角川書店)、累計一六〇万部を突破した大ベストセラー「大人の流儀」シリーズ待望の第七弾『大人の流儀7 さよならの力』がある。
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