SIGNATURE2017年05月号
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れどさりげなく細部までこだわりが詰め込まれている。お料理を召し上がる際には、そうした料亭の空気感も同時に味わっていただきたいですね。花緑:ところで益博さんが八代目桂文楽(1892〜1971年)にハマッたのは高校生のときと伺っていますが。益博:ええ。結局、大学の4年間で80回聴きに行きました。僕自身は八代目桂文楽というご贔屓ができたからこそ、落語の世界を深く知ることができた。ご贔屓を追いかけて高座に通い、好きなればこそ評論や取材記事に目を通すようになり、そして他の落語家との味わいの違いに気づいた。これは落語だけじゃなく、俳優さんもお相撲さんも野球選手も、どんな世界も同じです。ご贔屓が決まってからが面白い。花緑:文楽師匠との出会いが50年以上にわたる聴き手としてのキャリアのはじまりというわけですね(笑)。益博:僕が幸せだと実感するのは、文楽師匠に出会えたことはもちろんですが、昭和の落語を代表する三遊亭圓生(六代目)、林家正蔵(八代目)、柳家小さん(五代目)、金原亭馬生(十代目)から、古今亭志ん朝(三代目)、立川談志(五代目)の世代、そしてあなたがた――柳家花緑をはじめとする若手と、三世代にわたって落語を聴き続けられていることです。花緑:だからですよね、ありがたくも厳しいご意見を頂戴しております(笑)。われわれのような独り芸は独りよがりになりがちです。益博さんのように他者の目で、しかもきちっとお話しいただけることには感謝しきりなんです。益博:恨まれても嫌われても言わないと。僕はイヤなオヤジなんです(笑)。やはり次世代の方々に、私が三世代にわたって聴き続けてきた、聴き手としての知識のようなものを伝えていかなくちゃいけない。噺家さんたちの話芸もまた東京の財産ですからね。花緑:四代目小さんは、独りよがりにならないよう「あらゆる角度から噺を見ろ」と言っていたそうです。伝承された噺を頑なに守るのではなく、わざとセリフを変えてみたり、入れ替えたり、噺をいじる。これによる気づきこそが噺に鮮度を持たせることができる、という教えです。立川談志師匠も、たとえ自分で構成を変えて完成させた噺でも、つねに見直して、調整しておられました。われわれ落語家は「噺」という言葉を使いますが、わざわざ「噺」を用いているところに、落語家にとってのチャレンジスピリットがあると思います。安定に安心しないこと、そして不安定のなかに入っていく勇気を持つことが重要なんです。益博:なるほど。つねづね師匠の魅力は「現代語感」だと思っていましたが、花緑 Karoku YANAGIYA柳家花緑やなぎや かろく|1971年、東京生まれ。出囃子は「お兼ねざらし」。87年、中学卒業後、祖父・五代目柳家小さんに入門。前座名・九太郎。89年、二ツ目に昇進し小緑と改名。94年、戦後最年少の22歳で真打昇進。花緑と改名。2003年に落語界の活性化を目的として結成された「六人の会」のメンバー。スピード感あふれる歯切れのよい語り口が人気で、古典はもとより、新作落語にも意欲的に取り組む。近年では洋服と椅子という現代スタイルで口演する「同時代落語」で全国を飛び回るなど、落語の新しい未来を切り拓く旗手として注目の存在。www.me-her.co.jp/profile/karoku/噺家の「噺」という字は口に新しいと書きます。つまり落語には、新しいことをやるというスピリットが備わっているんですね――

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