作家の城山三郎さんが、夫人を亡くされた折、茅ヶ崎に通夜へ行き、城山さんの姿を見た時、哀しみにあふれた先輩の姿にお掛けする声を失なったのをよく憶えている。城山さんはしばらく仕事を休まれた。そうして何年後かに夫人のことを書かれた本が出版された。 そのタイトルを見た時、〝哀しみのかたち〞をこれほど適確に言いあらわしている言葉はないと思った。 〝そうか、もう君はいないのか〞 この言葉にうなずく人は、世の中に何千、何万人といることを私は確信する。 離別によって残されたものが、ごく自然に離別する以前と同じように行動した折に、突然、相手がすでに不在であることに気付き、或る人は茫然とし、また或る人は哀しみの淵のようなところへ引き戻され、深い吐息を零したりするのである。 早朝、庭に出てバラの開花を見つけ、 「お〜い咲いてるじゃないか」 「あなたバラが……」 と不用意につぶやいた瞬間である。 人間であっても、長年ともに過ごしたペットとの別れでも同じである。 作家の金井美恵子さんの小文であったと思うが、長い歳月、一人と一匹で過ごした猫を失い、或る夜半、飲み物を取りに薄闇の中をこぼ9イラスト:日刊工業新聞「友さんのスケッチ」よりNumber 103 Corsica
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