キッチンに行き、冷蔵庫を開け、飲み物を取り出し、そこで彼女はゆっくりと慎重に冷蔵庫のドアを閉じる。それは深夜、彼女が冷蔵庫を開けると、必ず足元に愛猫がいたからである。一人と一匹にしかわからないことである。その折の感情も同じなのだろう。 〝そうか、君はもういないのか〞 先月号に続き、この連載のはじまりからずっと挿画を描いて下さった長友啓典氏の話である。 長友さんの愛称〝トモさん〞の名前を、私もつい数日前、胸の中で呼んでしまった。 それは、私の仕事が雑誌なり、単行本になって読者の皆さんの目に触れるようになると、私の手元に届くのだが、或る週刊誌を開けて、掲載ページを目にした時だった。 「あれ? これは私の文章のページではなかったのか」 と思った。私の文章に必ずあった長友さんの挿画がなかったからである。 そうつぶやいた途端、言い知れぬものが襲って来た。迂闊と言えば迂闊だが、私はしばらく沈黙してしまった。̶̶そうか、トモさんはもういないのか。 トモさんとの別れ以来、私の下にいくつかの追憶の文章の依頼が来たが、私はすべてを断わった。お世話になった雑誌もあり、申し訳ないと思ったが、トモさんのことを文章で綴りはじめると、平静でない自分があらわれると予測したからである。 この連載の先月号を何とか書くことができたのは、おそらく離別の、本当の重さを計れなかったからだろう。 数日前酒場で、トモさんへのお悔みを友人から言われ、相手がトモさんと私と出かけた地中海のコルシカ島での思い出話をするのをずっと聞いていた。話題が宿泊したホテルのプールサイドにあった卓球台を見つけて、皆が卓球に興じた話になった。 「そんなことがあったかね?」 私は思わず口走ってしまった。 酒場を出て、一人で歩き出した時、卓球に興じるトモさんの姿が、路地の闇の中にあらわれた。私は立ち止まり、しばしその幻を見ていた。そうして幻が失せると、ゆっくり歩きはじめた。 トモさんは物を大切にする人だった。物という表現では曖昧なら〝道具〞〝グッズ〞を大切にする人だった。 たとえばそれは時計だった。一度、ご自宅で時計のコレクションを見せてもらったことがあった。特別に誂えたケースに、十数個の時計が仕舞ってあった。二十五年前のことだから、その後はもっと数も多くなっていたであろう。決して高価なものではなかったが、アンティークの時計を説明された時の、トモさんの少年のごとき瞳のかがやきを今でもよく覚えている。 ゴルフシューズもそうだった。プレーが終了した後、一人丁寧にシューズをコースの隅で拭いていた、少し高いシューズだった。 「ええ職人さんがおったんや」 「いくらしたんですか? ……そりゃずいぶんと高いですね」 「伊集院、〝安物買いの銭失い〞が一番あかん10
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