歌舞伎名場面文・川添史子 イラスト・大場玲子(兎書屋)CSignature 色に耽ったばっかりに̶̶恋人のおかると会っていたために、主君の大事に居合わせることができなかった早野勘平は、おかるの実家に身を寄せ、猟師として生活している。 『仮名手本忠臣蔵』五段目の舞台は6月29日の夜、〝鉄砲雨のしだらでん〞というから、どしゃぶりの雨の、闇夜の山崎街道。 勘平は昔の朋輩・千崎弥五郎に会い、仇討ちのための御用金調達を頼まれる。なんとか金をつくって、武士に戻りたい勘平。家路へつく道すがら、猪と思って撃ったのは、山賊の斧定九郎だった。暗闇で顔も見えない死骸の懐中には、その直前、定九郎がおかるの父・与市兵衛を殺して奪った「五十両」が。そんなこととはつゆ知らず、天からの恵みと財布をつかんで飛ぶように駆けていく勘平。短時間のうちに同じ場所で、与市兵衛と定九郎、二人の人間が死んだ。 定九郎は全身白塗りで素足の凄みある浪人姿で、花道で破れ傘を持ってきまる姿はいかにも〝色悪の花〞。鉄砲で撃たれて血を吐くと、踏み出した白い膝には鮮やかな赤がにじみ、おそろしくも美しい。台詞は「五十両」の一言ながら、観客に強烈なインパクトをいろあく与える特異な登場人物だ。かつては典型的な山賊姿で、けしていい役ではなかった定九郎が、明和3年9月、市村座における中村仲蔵(初代)の工夫によって今日の形に一変したと伝わっている。落語や講談の『中村仲蔵』では、仲蔵はこの役のヒントを雨宿りで立ち寄ったそば屋で見た、雨のしずくに濡れた浪人者から得たと語られる。真偽のほどは定かでないが、三代目仲蔵が家の歴史と芸談を記した『手前味噌』に同じような逸話がそっくり書かれているので、苦心して拵えた役だということは間違いないだろう。 さてこの段には定九郎のほかにも、客席から拍手を浴びる小さな人気者がいる。それは勘平の鉄砲に狙われながらも難を逃れた猪で、花道を荒々しく駆け抜ける猪は、着ぐるみながらも迫力満点。「五段目で、運のいいのは猪ばかり」と句にもうたわれているが、与市衛兵は斬り殺され、定九郎は撃たれた。勘平は翌日、あの闇の中で金を奪い取ったのは義父であったかと思い込み、自害することになる。こしら数奇な運 第13命回に翻弄される『忠臣蔵』の、キャラの立ったバイプレイヤーたちさかやきひとえolumnText by Fumiko KAWAZOEIllustration by Reiko OHBA(TOSHOYA)19真っ暗闇の山崎街道で殺人強盗をはたらく斧定九郎の役は元来、野暮ったい山賊姿だったが、それを江戸中期の歌舞伎役者、初代・中村仲蔵が、月代の伸びた頭に白塗りの顔、黒羽二重の単衣に破れ傘という浪人姿にアレンジし、その拵えが現在まで踏襲されている。「新板浮繪忠臣蔵 五段目之圖」山崎街道の場。斧定九郎に金品を奪われる与市兵衛文化15年(1818年)歌川国直画東京都立図書館特別文庫室蔵1“Kabuki”a sense of beauty
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