ここ数日は、七年振りに出かける海外旅行の準備に追われている。 行き先はフランスとイタリアだが、主な取材先はイタリアである。しばらく休載していた美術館を巡る旅である。 休載せざるを得なかったのは、旅の出発までに、あと一週間になった三月の初旬、あの東日本大震災に我ヶ家が見舞われたからである。 あの時、妻は二階で旅行の準備をしていた。 私は旅行に出かけている間にある小説、隨筆の締切りの何週分かを書いていた。徹夜が続き、仮眠から覚めた午後、さあもうひと踏ん張りと庭に出てみると、昨日まで庭にやって来て、あんなに騒々しかった鳥たちの姿がまったく失せていた。̶̶おや、どうしたんだ? 奇妙に思いながらも、執筆には静かな方がいいので、これは少し楽だナ、と考えていた。 あとになって、あの激震を鳥たちはいち早く感知して、どこかに避難していたのだとわかった。 どれほどの被害であったかは何度か他の場所で書いたので詳細は省くが、家は半壊して、電気、ガス、水道のない生活が三ケ月余り続いた。 電話も不通だった。ところが一本の電話がなぜか入り、つながると、相手はパリに住む友人のS嬢だった。 「伊集院、大丈夫なの?」 「ああ、私も家族も元気だ。心配してくれてありがとう」 「本当に大丈夫なの? 本当のことを言って」 「大丈夫だよ」 彼女はパリで津波で車と家屋が流される報道をテレビ画面で見ていたのだ。そうしてそれ以上に、福島の原発事故の報道を目にしていた。ヨーロッパでの原発事故の報道は、日本では公開が自粛された原発の建物の水素爆発のシーンが何度も映され、おそらくメルトダウンをしているとほぼ確信を持って伝えられていた。私もあとになって、その爆発シーンの映像を見たが、原爆のキノコ雲にとてもよく似ていた。 「私は元気だ。心配しなくていい」 すると彼女はこう続けた。 「すぐにこちらに来なさい。あなたとあなたの家族が暮らせる家もすべて用意するから」 私はS嬢の言葉に驚いた。彼女の言葉から今回の原発事故の報道に、海外と日本でかなり違いがあることが察知できたが、私は彼女に言った。う7Text by Shizuka IjuinPhotographs by Masaaki Miyazawa
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