「心配してくれてありがとう。でも私と家族の年齢と日本の状況を 「それに何?」 「私は小説家だ。今、日本で何が起こって、日本人が、これをどう考えると、これからすぐにそちらに移り住むことはできない。それに……」対処し、乗り切ったかを記録することは、私の大事な仕事なんだ。私はそう信じている。何年先になるかはわからないけど、落着いたら、そちらへ行くよ。食事の予約をまた取っておいて下さい」 最後にそう言ったのは、S嬢は、一週間後に私がパリへ着き、宿泊する予定のホテルのマネージャーだったからだ。 今回の旅行で、彼女と私と妻で、彼女が新しくマネージャーになったホテルの三周年のお祝いのディナーをするはずだった。 S嬢は新しいホテルの場所選びから、内装、シェフをはじめとする従業員の選定をすべて委されて、ホテルは三年前にオープンしていた。 シャンゼリゼ通りから少し奥に入った場所にあるホテルDはヨーロッパのホテル業界の中でも話題になるほど素敵なちいさなホテルだった。 私とS嬢の出逢いは、そのホテルDから歩いて少しの場所にあった『ホテル・ド・ヴィニー』であった。バルザック通りに面したそのホテルが、彼女が初めてマネージャーとなったホテルだった。 三十数年前の冬、私はアフリカへ取材旅行をするために同じバルザック通りにあった『ホテル・バルザック』に一人で宿泊していた。そのホテルのむかい側に工事をしている場所があり、どうやらホテルを建設中だとわかった。少年の頃から工事を見るのが好きだった私は、或る午後、バーをこしらえている光景を眺めていると、突然、声をかけられた。 「こんにちは」 「やあ、こんにちは。バーができるのかい?」 「そう、ホテルのバーよ」 「ほう、ホテルのバーか、そりゃいい」 「今度ぜひ泊りに来て下さい」 「いつ完成するの?」 「あと三週間」 「ほう、なら私がパリに戻って来る頃だ。ぜひ宿泊しよう」 「本当に? ならあなたがこのホテルの最初のゲストだわ」 「そりゃいい。予約をしよう」 彼女の手帳に、私は名前を書き、彼女はそれを写して、手製の予約カードをくれた。 アフリカから戻って、タクシーでバルザック通りにつけると、『ホテル・ド・ヴィニー』は完成していた。 それから私とS嬢との長いつき合いがはじまった。 ホテルをどう活用するかを教えてくれたのがS嬢だった。 彼女は以前、名門ホテルのクリヨンで働いており、女性として初めて客室のチーフとなるほど優秀だった。昭和天皇の裕仁陛下の世話をし、じきじきに記念品と感謝の言葉をいただいたと言う。 「いろんな国のロイヤルファミリーが見えたけど、エンペラー・ヒロヒトは最高の紳士で、やさしい方だったわ」 ヨーロッパを訪れる度に、私はパリへ寄って、彼女のホテルで数日を過ごした。 昼間、バーの隅で読書をしていて、つい眠ってしまうと、いつのまにか私の膝元から胸にブランケットがかかっていた。ベルギーのホテルでトラブルがあった時、彼女に連絡すると、ホテル側と交渉し、Number 104 th8 arrondissement of ParisParis8
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