SIGNATURE2017年07月号
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素早く解決してくれた。 S嬢の実家はリヨンの近くにあるお城で、パリに来たその家族と食事をしたりした。 「どうして君は結婚をしないの?」 「仕事に夢中だったの。もう私の家族は、このホテルのゲストの人たちね」 そのS嬢が、今年の春、姉上と二人で日本を訪れた。それまでも日本でホテル業界の会合がある時、ヨーロッパの代表として訪日はしていたが、今回はバケーションだった。私は彼女たちのアテンドを娘に頼んで、東京での最後の日だけ食事をともにした。 「あの時、君にパリにすぐ来て欲しいと言われたことが、どんなに勇気になったか……」 と私はあらためて震災の折の電話の礼を言った。 すると彼女は少し照れながら答えた。 「だって私たちは家族ですもの」 そうして昔を懐かしむように続けた。 「ずいぶん昔のことだけど、私が初めて委されたホテルの、第一号のゲストのお蔭で、私は今日まで仕事ができたと思っているわ。私はそれを一生忘れないもの」 そう言って、彼女は少女のように片目をつむった。̶̶それは俺たちは家族だもの。 と言いたかったが、それは言葉にしなかった。Shizuka Ijuin一九五〇年、山口県防府市生まれ。八一年、文壇にデビュー。小説に『乳房』『受け月』『機関車先生』『ごろごろ』『羊の目』『少年譜』『星月夜』『お父やんとオジさん』『いねむり先生』『ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石』など。エッセイに、美術紀行『美の旅人』シリーズ、本連載をまとめた『旅だから出逢えた言葉』などがある。新刊に累計一六四万部を突破した大ベストセラー「大人の流儀」シリーズ待望の第七弾『さよならの力』。最新刊に『女と男の品格』(文藝春秋)がある。9

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