傘作家 「洋傘に関する知識もテクニックも、すべて独学で習得しました」「人ミシェル・ウルトー間国宝だなんて、実は少々おこがましいのです。私は好きなことを、やりたいようにやっているだけですから」 人間国宝に選出されるためにはいくつかの条件があり、その工芸に15年以上プロとして従事しているというのも、そのうちのひとつ。ただし、ウルトー氏の場合、厳密に言うと、この条件を満たしていないという。プロとしての経験年数が不足しているにもかかわらず人間国宝であると認められた事実は、彼が唯一無二で、いかに貴重な存在であるかを物語っている。なにしろ19世紀の傘を当時の技術を用いて完璧に修復できるのも、各時代の傘の流行の変移を詳細に把握しているのも、彼をおいて他にいないのだ。 1930年代にはフランス国内で約10万人いたという傘職人が激減してしまった理由には、傘に対するメンタリティの変化が挙げられる。ウルトー氏はそのことについて嘆いていた。 「私の祖母や母の時代は、傘は壊れると修理をして、世代を超えて長く愛用するものでした。それが今では、まるで使い捨て品のように扱われています。多くの人は雨さえしのぐことができればいいと考え、大量生産される劣悪な傘で満足するようになってしまいました」 ウルトー氏が製作する傘は、全く別の代物。傘が開いたときに美しく対称の曲線を描くように、骨組みのメタルを1本ずつペンチで均一に曲げ、強風でひっくり返らないように布を適度な強度で張り、細かな部品を付けてていねいに仕上げていく。布を縫い合わせるためにミシンを使う以外は、すべて手作業だ。使用する素材は、骨組み部分のメタル、取っ手部分の木、防水加工を施した布など多岐にわたり、製作の工程も複雑だが、ウルトー氏はひとつひとつの作業をいつくしむかのように楽しんでいる。 「私のような根っからの自由人に、人間国宝の大役が務められるかと不安もありましたが、これを機に、傘職人の仕事にスポットライトが当たり、人々の傘に対する考え方が変わればいいと思い決断をしました」ParasolerieMichel Heurtaultカイユボットやルノワールの絵画に出てくるような、エレガントな傘がずらりと並ぶ。温故知新の精神で、アンティークのデザインからインスピレーションを得て新しい傘を製作することもしばしば。独学のウルトー氏にとって、古いファッション誌や通販カタログは重要な情報源。舞台・映画関係者からの依頼も多い。35コルセットなどの年代物衣装の製作の仕事に携わるかたわら、趣味で請け負っていた傘の修復や製作が高く評価され、傘職人として独立することに。2008年にパリのヴィアデュック・デザールに工房を開設。2013年人間国宝に。
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