せいひつする。 と同時に、何人の旅人が訪れた街で、何を感じていたのだろうか、ということである。 その午後、夕食前に一人で旧市街を歩き出した私は、市庁舎のある建物へむかいながら、そこに夕空にむかってそびえる塔を眺めた。〝アシネッリの塔〞である。中世、王や豪商が、その権勢を誇るように建てた塔で、全盛期は二十以上の塔があった。 ボローニャの街を訪れた。 旅の目的は、この街に、私の好きな画家の美術館があるからである。 ジョルジョ・モランディ。二十世紀を代表するイタリアの画家である。あの静かな、沈黙しているかのような静物画を目にした人も多いかと思う。 モランディは一八九○年にボローニャに生まれ、その生涯のほとんどをボローニャと、この街の近郊にあるアペニン山の麓のグリッツァーナの村にあった別荘で過ごした。 一九六四年、七十四歳で亡くなるまで独身で過ごし、彼の三人の妹たちに助けられながら、晩年まで創作活動を続けた。 晩年の作品のほとんどが、静物画である。しかもその作品は、彼のアトリエにある花瓶であったり、水差しであったり、缶である。たまに彼が子供の頃から大切にしていた玩具が加わるが、モランディの作品を愛する人々の声を聞くと、こうである。 「彼のアトリエにあった壜、缶、器を描いているのだけど、ちょっとした配置の変化で、言葉を持たない物が、何かを語っている気がして来るのです。静謐な時間の中には必ず遠くからささやく声、言葉が聞こえます」 静謐とは、静かでおだやかなことを表現する日本語だが、この画家の世界を言いあらわすのに、まことに的を射ているように思う。 私は、遠くにある権力の象徴である塔を見ながら、その日の正午に鑑賞したモランディの作品を思っていた。__モランディは何を見ていたのだろうか? 私は絵画鑑賞をする時、いつもこの命題を考えてみる。たとえその対象となる画家が、四百年前のルネサンスの画家であってもである。後世(現代)まで作品が生き続け、私たちの目に触れるこ7
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