SIGNATURE2017年10月号
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CSignature日本美術の冒険 第37回21しんはしもと まり/日本美術を主な領域とするエディター&ライター。永青文庫副館長。著書に『SHUNGART』(小学館)、『京都で日本美術をみる【京都国立博物館】』(集英社クリエイティブ)。 大徳寺大仙院でもっとも格の高い中央の部屋「室中」は、足利将軍家に同朋衆(アートディレクター)として仕えた相阿弥の水墨画《瀟湘八景図》の襖絵で囲まれていた。元信の《花鳥図》はその西側の「檀那の間」を飾った。こちらは水墨画と着彩のやまと絵とをハイブリッドにしたかのよう。休館日 : 火曜 (※10月31日は開館)お問い合わせ 03-3479-8600公式ウェブサイト http://suntory.jp/SMA/重要文化財《四季花鳥図》狩野元信筆 八幅のうち一幅室町時代 16世紀 京都・大仙院蔵【展示期間:10月18日~11月5日】六本木開館10周年記念展天下を治めた絵師 狩野元信会期 : 2017年9月16日(土)~11月5日(日) ※作品保護のため、会期中展示替あり会場 : サントリー美術館     (東京ミッドタウン ガレリア3階)開館時間 : 10:00~18:00(入館は17:30まで)※金・土、および9月17日(日)、10月8日(日)、 11月2日(木)は20時まで開館※9月30日(土)は「六本木アートナイト2017」のため 22時まで開館※いずれも入館は閉館の30分前まで文・橋本麻里 狩野派、といえば、まず名前の挙がるのは、織田信長や豊臣秀吉の愛顧を受け、長谷川等伯と画壇の覇権をかけて戦った狩野永徳、あるいはその孫で、江戸絵画の基調を確立し、後世「画壇の家康」と呼ばれた狩野探幽だろう。だが、より大きな視点で絵画史を眺めてみるなら、中世から近世の結節点となった狩野派の二代目・狩野元信の存在に注目する研究者は少なくない。 狩野派が台頭するのは室町時代末期。初代・正信は、それまで代々画僧(寺院に僧として所属し絵を専らとする)が務めてきた足利将軍家の御用絵師に、俗人として初めて就任する。とはいえ、正信が手がけるのは、中国絵画を規範とする、漢画系の作品に留まった。その息子・元信が登場するのは、応仁の乱を経て京が復興していく時期だ。灰燼に帰した伽藍や御殿、城郭などの大型建築が次々再建されていく中で、大勢の弟子を抱え、あたかもゼネコンのように大規模な仕事に即応できる体制を整もっぱとどえた狩野派が、頭角を現してきた。 彼らを率いた元信は、中国の高名な絵師たちが残した作品を手本に、「誰々スタイル」として注文を受ける形式から、定型的な画題(モチーフ)に対し、真・行・草3種の「画体」で描き分ける形式へと手法を変えた。さらにそれらを「型」として弟子たちに学ばせることで、クオリティの揃った集団制作を可能にした。そして中国的な水墨画だけでなく、日本の伝統的なやまと絵の技法も吸収、レパートリーを絵巻や金碧画、風俗画にまで大きく広げ、顧客層をも拡大したのだ。 元信の幅広い画業を単独で扱う本格的な回顧展は今展が初めてとなる。あらためてその作品を通覧することで、永徳とも探幽とも異なる、元信の存在意義の大きさが、多くの美術ファンに伝わるはずだ。olumnText by Mari Hashimotoぎょうそう2真・行・草、3種の「画体」。狩野派の礎を築いた絵師Art

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