SIGNATURE2017年11月号
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CSignatureぼう文・橋本麻里 政治や経済の不調、あるいは天災などによって社会が疲弊し、荒廃した時、私たちは「世も末だ」と慨嘆するが、平安時代後期の貴族たちは、はっきりと「世も末」のタイムリミットを意識して生きていた。 それは摂関政治の最盛期──永承7年(1052年)に到来すると信じられていた「末法」の世だ。これは釈迦の入滅後、仏の教えとしての教、それを実践する行、その結果としての証(悟り)を得ることのできる千年間(正法)、教えと行はあっても証を得られない千年間(像法)、以後は教えのみが残り、修行する者も悟りを得る者もいない暗黒時代(末法)が1万年続くという、ある種の終末思想に基づいている。 暗黒の六道世界から逃れ、極楽往生を遂げるために、藤原道長を筆頭とする貴族たちは、浄土を写したかのような阿弥陀堂を建て、装飾の限りを尽くした料紙に経典を書写し、その経典を漆工金工で飾った箱、あるいは経筒に納めて、山上の経塚に埋めた。金と時間と技術を湯水のように注ぎ込んで作らせたものたちは、その願いの真摯さのゆえにか、類を絶した完成度と高い精神性を感じさせるものが多い。 こうした平安時代までの仏教美術をきょうしょうぎょうしょうぼうぞう中心に、仏像、仏画、書跡、陶磁、染織から近世絵画に至る、幅広い領域の古美術を蒐集した、しかしこれまでその名やコレクションがごく一部にしか知られてこなかったコレクター「夢石庵」がいる。すでに本人は亡く、コレクションも散逸してしまっている。だがこの、まさに「末法」と呼ぶしかない方向へ急速に傾いていく世界にあって、夢石庵のすべてが忘れ去られる前に、もう一度その類い稀な美意識が、どれほどの作品を集め得たのか、今展では「末法」というテーマでコレクションを再現し、初めて一般に公開する。olumnText by Mari Hashimoto20はしもと まり/日本美術を主な領域とするエディター&ライター。永青文庫副館長。著書に『SHUNGART』(小学館)、『京都で日本美術をみる【京都国立博物館】』(集英社クリエイティブ)。 《弥勒菩薩立像》個人蔵修験道の霊地として知られる吉野の金峯山は、56億7千万年後に世を救う弥勒下生の地としても信仰を集め、仏法の衰えによって経典が失われることを防ぐため、藤原道長をはじめ多くの貴族が、経典を納めた経筒、鏡などを埋納した。本作は平安時代に遡る端麗な弥勒菩薩像。会期 : 2017年10月17日(火)~12月24日(日)会場 : 細見美術館    (京都市左京区岡崎最勝寺町6-3)開館時間 : 10:00~18:00(入館は17:30まで) 休館日 : 月曜お問い合わせ 075-752-5555公式ウェブサイト www.emuseum.or.jp※会期中、一部展示替えあり日本美術の冒険 第38回末法/Apocalypse―失われた夢石庵 コレクションを求めて―2Art今日の世界は、仏教で語られる「末法」なのか?夢石庵の鑑識眼を見る

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