ピエタ』の像であった。二十四歳の時である。 今回の旅のはじめに、私はヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂の入口に展示してあるこの作品を鑑賞した。 たしかに二十四歳の若者が、これほどの彫刻をいきなり完成させたのであるから、それはやはり当時の人々も驚いただろう。大理石はよく研磨され、ヴィロード、絹のようにやわらかに映り、何より我が子の死を嘆く母親マリアが、若く美しかった。この若さは当時も少し問題になった。イエスの死の折のマリアはこんなに若くはないと……。しかしその意見が吹き飛んでしまうほど、マリアは美しかったのである。私もヨーロッパの美術館を十数年の間訪ねて、絵画、彫刻のさまざまなマリアを鑑賞してきたが、これほど美しいマリアを見た記憶がなかった。マリアの膝の上に横たわるイエスの肉体も筋肉質で、ギリシャ彫刻を思わせた。 『ヴァチカンのピエタ』を鑑賞した記憶がまだ鮮明であったから、目の前の未完作『ロンダニーニのピエタ』は彫刻作品とはどこか別のものに思えた。 よくよく見ると手前の人物(イエスなのだが)が背負っているように見えたもう一人の人物(マリア)の左手が、イエスの左肩から胸、うなじを撫でているように思えた。そうして見えない(まだ石の中に埋もれている)右手がイエスを抱き上げようとしているのではと思えた。 イエスの顔はほとんど出来上がっていないが、マリアの顔からは表情が伝わってくる。――嘆いている。やはりピエタなのだ。 しばらく細部を観察し、私は像から離れ、全体を眺め直した。すると奇妙なことに気付いた。ふたつの像がやや弓なりになっており、目を細めると、一枚の羽根のごとくイForo Romano, Rome 写真・宮澤正明
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