SIGNATURE2017年12月号
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親人しみやすい画風で多くのファンを魅了している熊谷守一だが、東京国立近代美術館で開催される展覧会は、都内で久しぶりの大規模回顧展だ。 「守一は、その風貌や、著書『へたも絵のうち』に書かれている飄々とした生き方やユーモラスなエピソード、そして、明るくて楽しい絵から、感じのよい、かわいいおじいさんというイメージを強く持たれています。ですが、14年ほど前に、岐阜県美術館にご遺族から寄贈された日記などの資料の研究が進み、改めて作品を見ていくと、じつは、すごく考え抜いて描かれていて、世間のイメージとは違う側面が明らかになってきました。そんな新たな守一像を紹介したく思って展覧会を企画しました」 守一は1977年に97年の生涯を閉じた。85年には旧居跡に熊谷守一美術館(現・豊島区立熊谷守一美術館)が創設されるなど、顕彰は続いてきたが、没後40年という時間を経た今だからこそ、わかってきたことがあるのだという。 「守一は、物理や科学など、この世の原理について強い興味を持っていました。ドイツのヘルムホルツという科学者の影響で音の振動数の計算にはまっていた時期がありましたし、雑記帳というノートには、写真機を自作する時のレンズや、現像液の成分のことなども書いてあります。そういうものに熱中すると、止まらなくなって絵を一切描かなかったため、かなり貧乏したようです」 そんな絵とは無関係に思える科学の勉強も、制作に活かされているという。 「たとえば、《鬼百合に揚羽蝶》は色もきれいで形もクリアで、誰もがいいなと感じる絵だと思いますが、この色は、青地に赤を置くとぱっと引き立って見えるという、学生時代からの色彩研究のうえで選ばれています。そして、蝶と鬼百合をほぼ同じ形に描いて、まるで3匹の蝶がふわふわ舞っているように見せています。おまけに、蝶は動きが速く観察が難しいのですが、守一は並外れた動体視力で、的確に形をとらえています。つまり、色と色との取り合わせ、構図、形をとらえる正確さなど、絵以外のいろんな知識を持っていたからこそ、この親しみやすい作品ができたとも言えるのです」 水たまりに落ちる雨の滴をとらえた《雨滴》は、高速度カメラで一瞬を切り取ったかのような臨場感にあふれる。 「下絵の段階で水の形はほぼ決まっていたのですが、これも雨を観察し、水が跳ねる原理を理解しているからこそ、頭のなかで形を決められたのでしょう」 太陽とその周りの光の輪を描いた《朝のはぢまり》《夕映》は、形と色を突き詰めた結果、抽象画の領域に近づいている。 「この絵にも、30歳の頃日記に書いた、太陽をじっと見ると紫、黄色の残像が見える、という観察の成果が活かされています。強い光を見た後に補色が出てくる現象でしょう。ただ、このような絵を描いたのは75歳の頃ですから、45年のスパンがあるのですけどね(笑)」 ほとんど家から出ずに、妻と碁を打ちのんびり暮らしている、そんな浮世離れした生活ばかりが強調されてきた守一だが、実際には徹底的に物事を研究したうえで絵筆を握っていたのだ。さらに、蔵屋さんは一般的な画家と守一が決定的に異なる点があると語る。 「じつは、まったく同じ図柄の絵を何枚も描いているのです。下図を作り、それをトレーシングペーパーでなぞって型紙を作り、板に転写しています。こんなことって、60年代にアンディ・ウォーホルが(ポップ・アートの文脈で)試みるまで、ほとんどなされていないことですよね」 普通、芸術は一点しかないからこそ素晴らしく価値がある、と考えるもの。守一は人知れず絵画の革命とも言える制作スタイルを確立していたのだ。 「さらに、すごいと思うのは、皆さんが知っている守一の画風や、何枚も描くシステムが確立するのも、名古屋の木村定三さんをはじめコレクターに絵を買ってもらえるようになるのも、すべて60歳頃からだということです。35歳までは実家でパラサイトでしたし、結婚も42歳。5人の子どもに恵まれましたが、絵はなかなか描かず、3人が亡くなっても、とても絵では食べていけない状態でした。97歳まで長生きしたから大成しましたけど、もし早く死んでしまったら、今のような評価はなかったと思います。けれど、風変わりで、つらい時期が長くても、最後にはなんとかなっている。このことは私たちにとっても、励みになるような気がするんです」 これまで伺ってきたことは、作品を見るだけでは伝わりにくいかもしれない。展覧会にはどう反映するのだろうか。 「雑記帳や日記などの資料をふんだんに展示するとともに、解説にも力を入れています。絵は、見て感じればよいと言われるのですが、それでは見たいものしか見えないのですよね。一点の絵にもいろんな見方があって、言葉でサポートされることによって、多様な側面が見えてきます。展覧会で自分の知っているものを見るのも楽しいですが、予想を裏切られて新しいものを知ったときにこそ、人は一番、興奮するものです」no.SignatureInterview1678Mika KURAYAくらや みか|女子美術大学芸術学部絵画科卒。千葉大学大学院修了。1992年より東京国立近代美術館に勤務。2008年から企画課長を務める。同館の主な企画展に「ヴィデオを待ちながら―映像、60年代から今日へ」(2009年)、「ぬぐ絵画―日本のヌード 1880-1945」(2011~12年)など。また、第55回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展(2013年)日本館キュレーターとしても知られる。

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