と私は自分に言い聞かせた。 妙なことを口走る、と思われようが、二年半前、私は東京の或る印刷会社が催した『ヴァチカン教皇庁図書館展Ⅱ』を見学し、そこで四百年前に日本のキリスト教徒が教皇に宛てた感謝状を見ていたからだった。 それは美しい金泥で装われた和紙に墨文字で、教皇への感謝がラテン語と日本語で書かれた手紙で、墨文字でしたためられたそれぞれの信者の名前が連なっていた。一六二一年(元和七年)の手紙で、徳川家康が江戸幕府を開き、キリシタン禁止令を出し、キリシタンを厳しく処罰していた時代だから、彼等はすべて〝隠れキリシタン〞である。大名の名前はない。商人と農民たちである。私が展覧会でその手紙を見て感心したのは、まず和紙の美しさ、おそらく当時の技術力でも最高のものを手に入れ、そこにきちんとした楷書でそれぞれが名前をしたためている文化、教養の高さであった。ラテン語は当時、潜伏していた外国人宣教師の手によるものだろうが、それでも敬愛、敬意する人への礼儀としての教養が備わっていたのだ。 この感謝の手紙はおそらく島原の乱や、それに続く厳しい迫害が起こっていた時代の、日本のキリスト教徒の現状を宣教師から聞きおよんだ教皇が、彼等に自筆の手紙を送ったことの礼状であろう。 宗教は信者に己の救済や、社会の惨状に手を差しのべる面があるが、同時に信徒が信じ、敬う人への礼節、品性を養う面を持っているのも事実である。 その手紙にこうあった。〜 阿保須登理賀様。貴殿が、私共に主・イエスさまの御加護があります、と箋られたことに感激し身体を震わせております 〜 (アポストリカとは教皇のことである) さらに感心するのは遥か遠いイタリアからちいさな日本という国の信者へ教皇が自ら書状を出し、彼等を救済しようとした姿勢と、その文書が確実に彼等の下に届き、礼状もまた教皇の下に届いたことだ。教皇庁図書館には、そのような貴重なものが長く保存されてあるという。日本人には耳の痛い話だろうが、当時の迫害の記録と拷問に使われた道具までが資料として保存されてある。アポストリカつづ 歴史の推移の中の出来事とは言え、安土桃山、江戸、明治期、日本におけるキリシタンの弾圧は目に余るものがあった。 システィーナ礼拝堂は部屋の天井にむかって人の熱気が湯気となって昇り、放送で〝静かにしなさい〞とくり返されるのだが、その時、半分いた中国人をはじめとするアジア人の観光客はまったく聞く耳を持たなかった。恥かしいと思った。 サン・ピエトロ寺院の本堂で、家人に言われたように、去年亡くなった愛犬の礼を言い、館内の売店ではロザリオや御影を両手一杯に買い、シスターから「商売でもなさるの?」と訊かれ、赤面した。 夕刻、食事の席で、サン・ピエトロ寺院の天井の窓から差す一条の光の美しさを思い出し、あの場所へは私より家人が行くことができたら、さぞ喜んだろうと思った。 人生の後半での旅は、今行こうと思えば行ける時に、思い切って行くべきなのだろう。一九五〇年山口県防府市生まれ。八一年、文壇にデビュー。小説に『乳房』『受け月』『機関車先生』『ごろごろ』『羊の目』『少年譜』『星月夜』『お父やんとオジさん』『いねむり先生』など。エッセイに美術紀行『美の旅人』シリーズ、累計一六四万部を突破した大ベストセラー「大人の流儀」シリーズ、本連載をまとめた『旅だから出逢えた言葉』(小学館)などがある。最新刊は『琥珀の夢 小説 鳥井信治郎』(上下巻・集英社)。11Shizuka IjuinNumber 108Rome
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