SIGNATURE 2018 1&2月号
16/80

会期 : 2018年1月10日(水)~2月12日(月・振替休日) ※会期中、一部展示替えあり会場 : 根津美術館(東京・南青山)   アクセス:東京メトロ表参道駅から徒歩8分開館時間 : 10:00~17:00(入館は16:30まで)休館日 : 月曜(ただし2月12日[月・振替休日]は開館)お問い合わせ 03-3400-2536(代表)  http://www.nezu-muse.or.jp「墨と金」に象徴される狩野派の豊饒の美日本美術の冒険 第40回文・橋本麻里はしもと まり/日本美術を主な領域とするエディター&ライター。永青文庫副館長。著書に『SHUNGART』(小学館)、『京都で日本美術をみる【京都国立博物館】』(集英社クリエイティブ)。 「犬追物」とは、走る犬を馬上から弓矢で射て優劣を競う武技。文献上に初めて現れるのは1207年(承元元年)の『明月記』で、武士に必須の武技として盛んに行われた。室町時代には射手は36騎、犬150匹で行うのを本式としている。その「犬追物」をテーマとした図様は、狩野永徳の高弟・山楽が整えたらしい。これを手本として、いずれかの狩野派の絵師が描いたのが本作である。ArtText by Mari Hashimoto2CSignatureolumnC企画展 墨と金 -狩野派の絵画-❶ 重要美術品《犬追物図屏風》 2017年は、伊藤若冲や長澤芦雪ら、「奇想」の名で呼ばれる(その出典は、もちろん辻惟雄『奇想の系譜』である)18世紀の絵師たちを取り上げた展覧会の目立つ年だった。彼らを「奇」と呼ぶなら、その反対側には絵画の王道、スタンダードが存在していなければならない。それが誰かといえば、室町時代後期から江戸時代の終わりまで、400年の長きにわたって画壇を支配した狩野派ということになる。 狩野派が世界的にも類を見ないほど長く、堅固な支配体制を築くことができたのは、まさに今展のタイトル「墨と金」を我がものとしたからだ。墨と金、すなわち絵画の中の和と漢を。 狩野派は当初、室町将軍の御用絵師として登場した。それまで将軍の御用を務めていたのは、すべて相国寺の画僧ないし、法体の同朋衆など。そもそも中国由来の水墨画は、中世に東国の武家政権の保護を受けた、禅宗の本格的な到来と共に日本にもたらされた。そのため水墨画(漢画)-禅宗-武家という図式が成立。やがて水墨画が普及するに従って、僧侶以外も水墨画を描くようになり、また画題の幅も広がっていった。僧侶ではない俗人として初めて将軍の御用を務めたとはいえ、狩野派がレパートリーとしていたのは、まず「漢画」であった。 一方、宮中や公家たちを中心に愛好されてきた、やまと絵の伝統がある。このやまと絵由来の華やかな彩色の技法に加え、金箔を効果的に用い、屏風等の大画面作品を発展させたのも狩野派だ。近世に入ると、狩野孝信が、代々土佐派が務めてきた宮中の絵所預(絵画制作、装飾などを担当する長官職)の座を奪取。やがて墨と金、和と漢を自在に操って、武家と公家、さらに町衆までを広く顧客とする、巨大な絵師集団へと成長していった。今展では、中国に原典を持つクラシックなモチーフから、狩野派が創案した新しいモチーフにいたる屏風など大画面作品を中心に、狩野派の多面性、柔軟性、革新性を紹介する。いぬおうものずびょうぶ6曲1双 紙本金地着色 日本・江戸時代 17世紀根津美術館蔵展示期間 : 1月30日~2月12日ほったいどうぼうしゅうえどころあずかり20

元のページ  ../index.html#16

このブックを見る