SIGNATURE 2018 1&2月号
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ピーテル1世が下絵を描いた12点の版画連作『大風景画』の多くには、フランダースの田園風景でありながら、遠景には見えるはずのないアルプスの山岳風景が描かれている。「ブリューゲルが描こうとしたのはヴァーチャルな大パノラマの風景だった」。ブリューゲルの版画作品には、日本の浮世絵同様、版元、絵師、彫師、摺師といった分業体制と、初摺りと後摺りとの違いが示すように、絵が商品化され伝播していった経緯が見て取れる。遠近感にすぐれた素描を描いたピーテル1世はさしずめ、風景画を得意とした絵師・広重のような存在だったのだろう。エルサレム近郊のエマオの街道で、弟子たちが復活したキリストと知らずに同行する場面(ルカによる福音書24章)を描いた、ピーテル1世の下絵による『大風景画』のうちの一点。同作品は東京・上野の国立西洋美術館にも収蔵されている。館が、ロワイヤル広場の先「芸術の丘」の庭園の側に立っている。 1554年頃、イタリアから帰ったピーテル1世は、アントウェルペンで国際的なビジネスを展開していた版画出版兼販売業者ヒエロニムス・コックに出会い、彼が出版する版画の下絵を提供し始めた。ピーテル1世がコックのために描いた初期の作品が、イタリア時代のスケッチをもとにした『大風景画』のシリーズで、その雄大な景色はたちまち人々を魅了した。しかしそこに描かれたのは実際に存在した風景ではなく、ピーテル1世の創作が多分に加えられた風景だったと、王立図書館の版画・素描画担当学芸員ヨーリス・ファン・グリッケン氏は言う。 「国土の大半が平地というフランダースにあって、この地方の人々は高い山のある風景にたいそうな憧れを抱いていました。そこでピーテル1世は、イタリアへの旅行で自ら目にしたエキゾチックなアルプスの山々と、フランダースの建物や馬車など地元のモチーフを組み合わせて、風景画を描いたのです。それは当時の人々にとって、目の覚めるような光景でした。おそらく版元のコックとアイデアを出し合いながら、描いたのかもしれません」 その後コックは、当時ブームとなっていた一世代前の画家ヒエロニムス・ボスの人気にあやかって、ピーテル1世を「第2のボス」として売り出していく。ピーテル1世は、コックのプロデュースのもと、巨匠への道を歩んでいったのだった。 (木谷)ベルギー王立図書館 版画・素描画担当学芸員Joris van Griekenヨーリス・ファン・グリッケンBruegel &Brussels ピーテル・ブリューゲル1世(下絵)ヤンとルカス・ファン・デューテクム(彫版)1555年頃 エッチング、エングレーヴィング、インク 32.4×42.7cm Private Collection*「ブリューゲル展 画家一族 150年の系譜」出品作《エマオへの巡礼》39
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