ゆかりだいかんぼう 「僕の故郷の姫路城とは異なる戦国の荒々しさを感じるお城です」「2度の大地震に耐えた強い城。震災の記憶を風化させることなく後世に残していきたい」 三さん。今もパリ在住だが、日本も含めた世界への旅は途絶えることはない。今回は所縁のある二人の誘いで、初めて熊本へ足を踏み入れた。熊本市長への表敬訪問をすませた賢三さんが、まず向かったのが熊本城。 訪れたのは昨年6月中旬。4月14日の大震災から1年2か月あまり、いまだ被害の爪痕が生々しく残る場所だ。400年前に築城を指揮し、熊本県民に絶大な人気を誇る清正公を祀っている加藤神社から、傷ついた天守閣と小くしてパリに渡り、世界的デザイナーとして名声を得た髙田賢天守が間近に見える。 「賢三さんの故郷・姫路城と熊本城は常にライバル関係で、県民は負けたくないと思っています。姫路城は世界遺産で、〝偉い人がいるお城〞を感じさせますが、熊本城は戦いの城という感じです。特にグッと反り返った石垣の〈武者返し〉を見てほしいです」と、行定監督。彼は震災の当日、お城近くのホテルに宿泊していた。「揺れの後、10階から窓の外をみると、下からモウモウと上がる土煙がすごかった。石垣の崩壊によるものだと、後からわかりましたが……。僕はそれを見てすぐに映画を撮ろうと決意しました」。熊本城は行定さんが映画監督を目指した原点の地でもある。勲少年は、黒澤明の『影武者』のロケ現場に忍び込んだ。「黒澤監督に見咎められて、話ができたならば面白かった。でも、そうであれば彼のオーラにやられて目指さなかった可能性も」。少年が憧れたのは、現場スタッフが甲冑を汚して戦場のリアルな感じを出す作業だったのだ。そのかっこよさをきっかけに、映画の世界を志したのだという。 賢三さんからも、意外なリアクションが。「僕はあなたの映画『春の雪』が大好きで、何度も見ています。その監督から直々に熊本の地を案内してもらえるのは、本当にうれしい」。一行は、阿蘇のカルデラを一望する絶景スポット「大観峰」へ。阿蘇を構成する5つの岳は涅槃像に見えるとして有名。賢三さんは監督の説明を聞きながら、「だんだん横たわる涅槃像に見えてきますね」とニッコリ。さらに、撮影合間の雑談で、共通の知り合いの存在が浮かび上がる。それは映画プロデューサーの故・藤井浩明氏。行定監督の『春の雪』の企画者に名を連ね、28Kenzo TAKADAIsao YUKISADAたかだ けんぞう/1939年兵庫県姫路市生まれ。文化服装学院に学び、1965年元旦にパリに着く。1970年ブティック『JUNGLE JAP』を開く。70年代にブランド名を『KENZO』に変更、世界的に高い評価を得る。99年に紫綬褒章を受章。2016年にはフランス国家から「レジオン・ドヌール勲章」シュバリエ位を得る。ゆきさだ いさお/1968年熊本県熊本市生まれ。2001年『GO』で第25回日本アカデミー賞、最優秀監督賞に輝く。熊本が舞台の『うつくしいひと』を監督。2作目として震災後すぐに手がけた『うつくしいひと サバ?』では、爪痕の残る城や神社などで撮影を決行。2月には新作『リバーズ・エッジ』が公開される。髙田賢三行定 勲若
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