SIGNATURE 2018 3月号
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こやまひいでみすみいしく行定「僕らには伝説的な人物 である賢三さんの映画を ぜひ撮ってみたいですね」1981年に公開された、髙田賢三、唯一の監督作品である『夢・夢のあと』のプロデューサーが藤井さんなのだ。賢三さんは、藤井さんの熱意にほだされて、デザイナーとして多忙を極めていた時代に、コレクションのわずかな隙間の1か月だけ、モロッコロケに参加した。 「カメラや脚本も優秀なスタッフをそろえて『オッケー、ストップ』と言うだけの仕事と口説かれましたが、翌日の撮影に必要な絵コンテを、スタッフが打ち上げで飲みに行っている間に描き上げるのが辛くて大変でした」。賢三さんは、「もう忘れたい記憶」だそうだが、行定監督は「僕も、藤井さんともう1本、三島由紀夫作品を撮ろうと約束していたんです。残念ながら実現しませんでしたが、賢三さんの監督した映画をぜひ観たいです」。 思いがけない縁に、二人の距離がグッと近づいた瞬間だった。 翌日は熊本の海産物の宝庫である天草に向かう。入り口に位置する三角西港は2015年に世界遺産に登録された。時期的なものか、観光客がひっきりなしに出入りするという感じではないが、この港の価値は大きいという。なぜなら明治期の港が完全に現存するのは、日本でここだけだから。オランダのお雇い外国人技師・ローウェンホルスト・ムルデルが設計し、長崎の大浦天主堂・グラバー邸などを手がけた小山秀が率いる天草石工たちが、丹念に造作した港なのだ。九州に点在する日本の近代化を象徴する建築群が世界 30右:本渡第一映劇の最前列のシートに座る二人の巨匠。次の上映時間まであとわずかというタイミングで、代表の柿久和範さんのご厚意で撮影に臨んだ。左:三角西港を散策する二人。行定監督も世界遺産に登録されてからは初めて訪れたという。この日は波も穏やかで、波止場で映画談議に花が咲いていた。昭和の匂いが漂うこの映画館では「天草映画祭」も開かれるなど、天草の映画文化の拠点として重要な存在。放送作家の小山薫堂さんも少年時代に足しげく通っていたという。

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