SIGNATURE 2018 3月号
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||守一のことをたしかパリでフランス人の女性とき、一度目に今回の開催に尽力し、懸命にやっておられる学芸員のM嬢から自分が知らなかった守一の色彩、闇と光についていろんなことを教えてもらい、さらに守一の画家としての大きさ、幅に感動したことが、守一への文章の発起となった気がする。 一度目はM嬢にわざわざ時間を作ってもらったので話を聞く方に熱心になり、作品は足早な鑑賞になってしまった。一月に入り、今度はゆっくりと一人で鑑賞をし、あらたな作品への感動がありました。『朝のはぢまり』『夕映』『あかんぼを』は長い時間鑑賞をして、ひさしぶりに贅沢な時間を過ごせた。 その折、カフェーで休んでいた時、話したことがあった……。 ということを思い出し、すぐに相手の女性の顔が浮かばず、一人は私の親友のセシル嬢とわかって、彼女の出身地のリヨンからもう一人の女性の顔も浮かんで来た。 今から二十数年前、私はヨーロッパの美術館を巡る旅を雑誌に連載をはじめた。 最初は少しフランス絵画も鑑賞したが、スペインを旅してスペイン美術を鑑賞することにした。その理由は、私が好きなジョアン・ミロをスペイン絵画の最後の章で書こうと思ったからだった。いざはじめてみると、絵画鑑賞の旅は予期していた以上に大変な時間と下調べが必要で、果して最後まで続けられるか心配しはじめた。 そんな時、パリの常宿のプチホテルのマネージャーとお茶を飲む午後があり、二人で出かけたカフェ||どういうことだ? パリで守一を……。ーが、八区のマティニョン通りの一角にあった。そのカフェーの女主人がセシル嬢と同じリヨン出身で幼な友達だった。パリジェンヌはエレガントと言うが、二人とも強い女性であった。それはそうだろう。パリの真ん中で、一人はホテルのトップ、一人はカフェーの主人である。 二人はひさしぶりに会ったのか話がはずんでいた。カフェーの女性がいきなり私に話しかけた。 「あなたはモリカズをご存知よね?」 その時、相手のフランス語の発音もあったが(南の方のフランス語には訛りがある)、何を言っているのかわからなかった。 「モ・リ・カ・ズ……」 彼女は丁寧に言い、右手で何かを描く仕草をした。おそらくセシル嬢が私が今、美術の旅をしていて、小説家であることも今しがた話したのだろう。 「ああ、もしかして熊谷守一のことですか」 「そうクマガイ、モリカズ」 「守一をご存知なんですか? 日本で作品をご覧になったのですか」 「いや、パリで、この通りの、ほらあそこのギャラリーで。私はまだ十二歳の少女だったわ。祖母に連れられて行ったの。祖母がこの画家は素晴らしいわ、よく覚えておくのよ、と言ったわ」 私は京都に住んでいる時、祇園の小料理屋で守一の書を初めて見て、以来、守一の作品を少しずつ鑑賞していた。 嘘か真か、フランス人は自分たちを世界で一番の芸術の理解者だと信じている。あのアメリカを後進まこと6パリ遠景 写真・宮澤正明

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