「未来」を見据え、100年間の信頼と、100年目の挑戦。「経日にしてならずである。彼は何度も苦境に立たされながらも、それをものともせずに乗り越えてきた人物である。おそらくほかの人であれば、逃げ出したり、とっくに諦めていたかもしれない。だが、幸之助は、逆境に負けず、自社を世界的な大企業に育て上げたのである。 幸之助は、生涯にわたり探求心を失わない人であった。「商売をするために働くのか」。幸之助は自己と向き合い続け、あるべき姿を追い求めた結果、ひとつの光を見つけた。それは、「水道の水のように低価格で良質な物を大量に供給することができれば、物価を低廉にして消費者の手に容易に行き渡らせられる。そうなれば、地上から貧困を克服させられるのではないか」。この発見こを手繰り寄せたのである。そして、後に幸之助は、人生の最大の転換は、あの時、産業人としての「使命」に目覚め、それを全社員に宣言したことだったと書き残している。それ以降のパナソニック(当時の松下電器)の発展は、目覚ましいものがあった。 幸之助は自身の成功について問われた時に、意外なことを話している。「貧乏」「無学歴」「病弱」、この3つのおかげであるという。通常であれ営の神様」と称された松下幸之助。しかし、栄光は一者の使命とは何か」「人間は、何のそが、幸之助が求めていた「使命」これが有名な「水道哲学」である。ば、マイナス思考に捉えてしまうことだが、貧乏だったから、お金のありがたみを知り、感謝する心が芽生えた。学歴がなかったから、他人に素直に教えてもらおうと思った。体が弱かったから、人に協力をしてもらうことを知った、と述べている。 「逆境尊い試練であり、この境涯に鍛えられてきた人はまことに強靭である」 松下幸之助『道をひらく』より 「危機」「苦境」「失敗」から「気付き」、そして「学び」に変えていく。それが幸之助の「経営のコツとカン」を養っていたように思われる。では、なぜそれを成しえることができたのか。幸之助は一言、「私が素直な心でいようと努力してきたからだ」と話している。 「素直な心とは、寛容にして私心なき心、広く人の教えを受ける心、分を楽しむ心であります。また、静にして動、動にして静の働きのある心、真理に通ずる心であります」 これは、幸之助が生涯にわたり貫いた考え方であり、社員にも事あるごとに聞かせた言葉であった。 1918年、大阪で松下電気器具製作所として幸之助が創業したパナソニックは、今年2018年3月に創業100周年を迎える。 日本を代表する経営者の経験と叡智は、100年経っても色あせるこ それはその人に与えられた46
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